お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

修行

2007年07月22日 | 雑感
 きょうは、ウチでの法事客 一組。
 仏事後の会食中、退屈して、庫裏まで走り込んできた幼児二人と、オバサン、仲良くブロックやコマ、絵本で遊んだりしておりました。

 「いっしょに遊ぼう」と声をかけられ、手をつないでくれて、私、とてもうれしかった

 暇になった午後は、テレビで 映画「解夏」を観ました。
 ベーチェット病で、視力を失う青年と恋人の苦悩のお話。

 その中で、「夏安居(げあんご)」の話や、夏安居 最終日の「解夏(げげ)」が紹介されていましたね。
 主人公の青年の病気を知った、禅寺で会った郷土史教授の言葉が、心に残りました。
 「目がみえなくなる恐怖とたたかうのが、修行」「見えなくなった時がその恐怖から解放される時で、それが、あなたの解夏」(正確なセリフは分かりませんが・・・)

 私の叔父も全身の筋力が徐々に衰えてゆく難病におかされ、もう何年になるでしょうか。
 今は、一切身体を自由に動かすことができません。
 食事を飲み込むことすらできず、ものを言うことも叶わず・・・かろうじて、瞬きで、yes、noを意思表示。

 意識が、はっきりしているだけに、これほどの苦しみが、あるでしょうか。

 
 また、別の伯父は、脳梗塞で倒れた後、認知症になりました。

 穏やかな性格の伯父でしたのに、認知症状で性格が一変し、お世話してくださる看護師さんに暴力をふるうのだそうです。伯母がお詫びに周り、難儀しているとのこと。

 治癒の見込のない病の苦しみ・・・自分の思い通りにならないこと・・・本人も家族も、それをどう受け入れ、どう乗り越えて、生きてゆくか・・・

 この苦しみの先に、「よく、頑張ったね」「よく、生き抜いたね」と阿弥陀様に迎えられる仏の世界・浄土があるからこそ、「救い」なんだと・・・

 この人生を明るく生き抜くのは、まさに難行苦行だと、「解夏」を観ながら、あらためて思ったことでした。

コメント
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