ということで、ギャラリー倫土を夕方再訪してみた。1階ギャラリーの窓からテラスを見下ろすと、まだ明るさが残る中、福井さんのキャンドルがあちこちに灯されていた。
そうだろ。やっぱりキャンドルは火を灯していなくては。夕暮れの刻一刻と明るさが失われていくなかで、やや強い風に火がゆらぐ。この光景を見るためには夕方に来なくてはならないなあ。キャンドルの不規則な形も、ゆらぎ感を出すという絶大な効果が見て分かる。
福井さんがキャンドルはぜひ使ってほしいと言っていた。形が綺麗なので「火をつけるのがもったいない」という人が多いらしいのだが、例えば入浴時に明りを消して灯してみるというのも良いのではないだろうか。残念ながら私は、入浴時に動きを止めている時間が数分間しかないので、どうにもふさわしくないのであるなあ。
その後、なりゆきで1杯やっているうちに、2階ギャラリーの木村さんの作品を見損ねてしまった。1階で見た限りだが、キャンドル主体の明りになると、画は違った姿を見せてくる。木村さん特有の精妙なタッチを見ることができないが、何ともいえない雰囲気が立ち上ってくるのだ。昔、日本画を自然光の中で鑑賞したときの感じはこのようなものではなかったのかと思う。
すっかり酔っ払った後に帰宅。大変楽しい展覧会であった。
そうだろ。やっぱりキャンドルは火を灯していなくては。夕暮れの刻一刻と明るさが失われていくなかで、やや強い風に火がゆらぐ。この光景を見るためには夕方に来なくてはならないなあ。キャンドルの不規則な形も、ゆらぎ感を出すという絶大な効果が見て分かる。
福井さんがキャンドルはぜひ使ってほしいと言っていた。形が綺麗なので「火をつけるのがもったいない」という人が多いらしいのだが、例えば入浴時に明りを消して灯してみるというのも良いのではないだろうか。残念ながら私は、入浴時に動きを止めている時間が数分間しかないので、どうにもふさわしくないのであるなあ。
その後、なりゆきで1杯やっているうちに、2階ギャラリーの木村さんの作品を見損ねてしまった。1階で見た限りだが、キャンドル主体の明りになると、画は違った姿を見せてくる。木村さん特有の精妙なタッチを見ることができないが、何ともいえない雰囲気が立ち上ってくるのだ。昔、日本画を自然光の中で鑑賞したときの感じはこのようなものではなかったのかと思う。
すっかり酔っ払った後に帰宅。大変楽しい展覧会であった。