三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

資本主義の終焉~政権交代の夢

2009年03月14日 | 政治・社会・会社

金融資本主義が終焉を向かえようとしているという議論があります。このところの世界同時不況を受けて日本経済とアメリカ経済のあり方を顧みると、理論ではなく実感として、資本主義はもはや崩壊しつつあるのではないかと感じます。それは不安であると同時に、私たち貧しい人間にとっては、漠然とした期待でもあります。というのは、これまで既得権益を利用して荒稼ぎしてきた人たちが没落することへの期待があるからです。人たちはいま、これまで築き上げてきたものを失うまいと滑稽なほど必死になっています。そしてそのために沢山の労働者が切り捨てられています。大企業ほど簡単に人を切ります。派遣労働者を請負だと偽って長時間の無報酬労働をさせていたキヤノンやトヨタがその代表です。それぞれのトップが歴代の経団連会長であることが、日本の構造的な問題を明示しています。

人の不幸を願うのは人間の常ですが、そうは言っても、稚い子供たちが理不尽に死んでいくことを願う人は極く僅かだと思います。エラそうにしている人や要領のよさだけで出世した底意地の悪い人、ぼろ儲けしている人など、時代劇で言えば越後屋と悪代官、その部下たち、そういう人たちが水戸黄門や破れ傘刀舟や暴れん坊将軍に成敗されることを望んでいるのです。
私の会社の新春の集いの席上で、世の中は自分で金を稼いだ人間だけが評価される、金だけがすべてとは言わないが、幸せは金で買えると言ったおばさんがいまして、このおばさんが子会社の社長なのですから嫌になります。弱者の存在を否定する態度は情けないことこの上ありません。自分の立場や収入が弱者たちの犠牲の上に成り立っていることに考えが及ばないのです。是非とも暴れん坊将軍に成敗してもらいたいものです。

人を呪わば穴二つで、人の金持ちたちが追い込まれたら、真っ先に私たち貧しい庶民を切り捨てるだろうというのは明らかです。人たちの繁栄に乗っかって生活が成り立っているという悲しむべき状況の私たちは、甘んじて生活苦に陥らざるを得ませんが、せめて人たちの没落をこの目で見届けたい悲願があります。そしてもしできることなら、蜂の一刺しでもいいので彼らに一矢報いたい。しかし私たちはどこまでも善人のお人好しなので、法に逆らってまで一矢報いることはできません。続けて役人を死傷した事件は例外中の例外なのです。私たちにできることは、人たちの儲けに乗っかっていい思いをしてきた政治家と霞が関の役人たちを政治の中心から追い出すこと、つまり選挙でひ弱な一票を投じることしかないのです。そして金融資本主義がその役割を終え、自動車中心の産業とともに過去の遺物となろうとしているこの時期こそ、これまで私たちの一票が果たし得なかった政権交代が実現する唯一のチャンスではないかと思っています。

そのように感じているのは私だけではなく、実は永田町も霞が関も同じように思っていて、私たちにとっての期待感は、彼らにとっての危機感です。だから全力で危機を避けようとしている。小沢一郎さんの秘書が逮捕されたのは、実は霞が関と与党の総意なのです。日本の産業と政治構造から、あの逮捕があった訳です。しかしサンケイ新聞をはじめとする御用マスコミは、決してそんなからくりを報道することはありません。そして報道されなければ、大多数の国民はからくりに気づかず、またしても自民党に投票するやもしれません。こんな事態を招いたのはひとえに、小泉の郵政選挙で自民党に投票した有権者自身の責任ですが、正しい報道をしなかったマスコミの罪は相当に重いと思います。

かつて私は学生の時に、情報の取捨について習いました。情報化社会では必要な情報と不必要な情報、正しい情報と間違った情報を見極めて取捨選択することが重要であると。しかし、新聞に書かれてあることの90%はウソであると分かっている人がどれほどいるでしょうか。自分で情報を見極めることのできる人がどれだけいるでしょうか。

エルメスやルイヴィトンといったブランドのバッグを分不相応に所持する人。ラーメン屋にブランドのバッグを持って入り、汁がかかったと大騒ぎする女性。自分で使うバッグでさえ物を見て見極めることができず、ブランドに頼ってしまうから高いお金を出してブランド物を買うのです。怒鳴りまくる女性の精神レベルは、まさに郵政選挙で自民党に投票した有権者の精神レベルと同一なのです。次の選挙に向けた私たちの夢は、そういう精神レベルの有権者によって、はかなく散ることになるでしょう。