三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Men in Black international」

2019年06月17日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Men in Black international」を観た。
 http://www.meninblack.jp/

 若干退屈な作品。ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズが主演した前作品と同等の面白さを期待していただけに残念である。TBSの王様のブランチでLiLiCoが褒めていたが、あれはほぼプロパガンダだからあまり気にしないことにしていた。それでも言葉の影響力はゼロではないから、心の底で期待を膨らませていたのかもしれない。テレビの映画評論は見ないに越したことはないのだ。
 考えてみれば前作までは宇宙難民たちの臭いや触感まで具体的に表現していて、少し気持ち悪い部分もあったが五感に訴えてくる迫力があった。しかし本作品は視覚と聴覚だけだ。リアリティに欠けるから怖さはゼロに近くなる。敵が怖くなければ面白さは半減する。主人公の活躍がパッとしないのだ。
 こういった娯楽作品は、キャラクター設定で笑わせたり、CGがすごかったり、主人公の活躍が爽快だったりすることで気分が上がるものだ。本作品はコースに起伏もバンカーもないゴルフを見ているようで、面白さとはほど遠かった。
 黒人と白人のコンビという点では前作までと同じだが、役者の演技に思い切りがない。前作までが主人公がひどい目にあっていたのに、本作品の主人公たちは顔も洋服も綺麗なままだ。ウィル・スミスは表情豊かな俳優だが、クリス・ヘムズワースは表情に乏しい。トミー・リー・ジョーンズのとぼけて飄々としているところが笑いを誘ったが、本作のテッサ・トンプソンにはそんなおおらかさを感じなかった。作品としてはSFコメディという位置づけでいいと思うが、それにしてはアクションも笑いも今ひとつで、評価できる要素に乏しかった。


ピアニスターHIROSHI リサイタル

2019年06月17日 | 映画・舞台・コンサート

 上野の東京文化会館大ホールでピアニスター「HIROSHI」のコンサートを観た。HIROSHIさんはかなり前にテレビで紹介されていて、面白いピアノを引く人だなという印象だった。調べてみたら、もうリサイタルを20回もやっていて、今年が20周年の21回目だそうである。1階は満席、2階席も相当に埋まっていたから多分2000人は入っていたと思う。
 東京藝術大学出身だけあって、正統派のクラシックは普通に弾きこなすが、2つ以上の曲をミックスして弾くのが効いていてとても面白い。無限と言っていいレパートリーはクラシックからジャズ、ポップス、民謡、童謡まで多岐にわたる。
 客席からタイトルをしりとりでもらって連続で弾くのがどうやらリサイタルのハイライトのようで、川の流れのように~日曜はダメよ~与作~くちなしの花~渚のアデリーヌ~盗んで開いて?~鉄道唱歌~などをうまくつないで弾いたときは客席が大いに盛り上がり、この日一番の拍手が起きた。
 合間には花束を渡す人がたくさんいて、テレビには出ていないけれどもコアなファンがいる人なのだと理解した。もうすぐ還暦になるそうだが、まだまだ指はなめらかに動いている。次回も観たいと思う。


映画「誰もがそれを知っている」

2019年06月17日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「誰もがそれを知っている」を観た。
 https://longride.jp/everybodyknows/

 予告編以外の情報なしで鑑賞したが、ストーリーは解りやすくて戸惑うことはない。家族と親戚が集まってくる長閑なシーンからはじまり、G線上のアリアが印象的な結婚式とそれに続く宴会はトラディショナルで楽しそうだが、記念のビデオをドローンで撮影するところは現代的で、スペインの田舎にもハイテクが入り込んでいる様子が窺える。
 事件発生以降はホームドラマが急にサスペンスに変わった感じで、観ている側も少し緊張する。起承転結のお手本のような作品で、登場人物同士の関係性はタイトルの意味も含めて徐々に明らかになる。このあたりの作り方は実にうまい。
 登場人物それぞれが何を考えているのか、どういう性格なのかが解ってくると、この村の人間関係がどのようであるかが浮かび上がる。結婚式に招かれた人々、そして来なかった人々。家族と友人の間に金が絡んできて、愛憎だけでなく損得の感情も生まれ、人間関係はさらに複雑になる。
 役者陣は喜怒哀楽の表情豊かなラテン人を自然に演じていて、ドラマの世界にスッと浸ることができた。誰がどのような決断をするのか。葛藤と相克でドラマは立体的に構成されていく。そのへんがとても面白くて、飽きることがない。登場人物が決断を迫られる場面が何度かあり、違う決断をしていればどうなったのかと考えてみたりする。登場人物と一緒になって観客も迷う。
 誘拐は悲劇しかもたらさない。邦画「64(ロクヨン)」でもそうだった。人間の欲望は他人を陥れてまで自分が楽をしようとする。その結果人間関係は破綻し、自分も他人も不幸になるだけだ。それでも誘拐は起きる。中には国家による誘拐もある。人間はどこまでいっても救いようがないのだ。