三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

自衛隊はいらない

2019年06月19日 | 政治・社会・会社

 交番を襲うのは元自衛官と決まっているのだろうか。令和元年の今年もまた大阪の交番が元自衛官に襲われた。西武新宿線の中村橋駅の交番がひとりの元自衛官に襲われて警官二人が殺されたのは奇しくも平成元年だった。
 警官は自衛官に比べて近接格闘に圧倒的に弱い。自衛官の訓練が拳銃や小銃、ナイフなどを持つ屈強な男を想定して、相手を殺すことを目的としているのに対して、警官は一般人を相手の逮捕術の訓練しか受けていない。警官は丸腰の素人にしか勝てないのだ。
 訓練の差は覚悟の差でもある。自衛官は軍人だから人を殺すのに一瞬の躊躇もない。しかし警官はもともと人を殺すことを目的としていない。だから発砲するのは勿論、特殊警棒で殴打することさえ躊躇いがある。その差は決定的であり、闘う前から勝負は見えている。
 警官が自衛官並みの訓練をすればいいというのではない。それでは治安の悪いアメリカみたいな社会みたいになってしまう。暴力に暴力で対抗しようとするとどこまでもエスカレートする。武器から兵器への移行は境目がないから、個人の武器争いがいつの間にか国家の軍事力競争になる。アメリカは個人から国家まで武装している。日本で武器を揃えている連中がいるとしたら、暴力団か半グレ集団だ。ろくでなしである。アメリカは国家総出でろくでなしということなのだ。
 日本がそうならないためにも、自衛隊は解体する必要がある。武器や格闘術を放棄して、災害対策専門の部隊となればいいではないか。毎年5兆円もの経費をかけて、憲法で放棄しているはずの戦争の準備をするくらいなら、自衛隊などないほうがいい。自衛隊は階級社会だから、かつての日本軍のような陰湿ないじめが発生しやすい。自殺者も多分相当数に上るだろう。
 元自衛官であることをクローズアップすれば、自衛隊が抱える問題もクローズアップすることになる。だから報道は犯人の父親がテレビ局の常務であることばかりを報ずる。しかも内輪に甘いからしばらくはこの情報さえ出さなかった。このまま自衛隊が存続すれば、いずれはペルシア湾に派遣せざるを得なくなるだろう。戦闘になれば戦死者も出る。世界に誇る憲法第9条がなし崩しに破られてしまうのは見たくないのだ。