三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

こまつ座公演「私はだれでしょう」

2020年10月19日 | 映画・舞台・コンサート
 新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAでこまつ座の公演「私はだれでしょう」を観た。
 日本放送協会が放送するラジオ番組「尋ね人」は、戦争で離れ離れになった人々が家族の情報を提供する内容で、聴取率が実に90パーセントを超えるという大人気を博していた。製作スタッフたちは忙しくも充実した日々を送っている。
 そこに山田太郎?と名乗る男が現れ、敗戦前の記憶がないと言う。知恵を絞った末に「私はだれでしょう」というコーナーを設けて紹介する。
 山田太郎という名前が役に立つのか、ヤクザの親分や田舎の大百姓が山田太郎の知り合いだと名乗り出るが、いずれも無関係だったことが判る。その経緯の間に、自分が武芸の達人で英語が喋れて歌が歌えてタップダンスが踊れることが分かる。山田太郎?は何者なのか。
 陸軍中野学校は映画「沖縄スパイ戦史」に登場する。出身者が沖縄各地に分散して、あるものは教員となって住民に溶け込む一方、ゲリラを組織して戦う。ルバング島で見つかった小野田寛郎少尉も中野学校の出身者である。生きて虜囚の辱めを受けずとか、最後の一兵卒になっても戦えという戦陣訓と逆の考え方をしていて、捕まったら敵方に寝返った体を装い、二重スパイとして働け、などといった教育をしていたらしい。ほぼCIAの工作員に等しい。山田太郎?は中野学校の出身者であった。
 井上ひさしは戦争の最も暗い部分にも踏み込みつつ、一方で言論の自由を追求する日本放送協会の初期のスタッフたちの頑張りを表現する。歌と踊りが挿入され、辛くて暗い話が何故か明るい芝居になった。
 山田太郎?の話と並行して在米日本人の二世の話や「尋ね人」がヒロシマ、ナガサキを紹介しなかったこと、労働争議の話などが進行する。芝居自体は戦争と言論の自由と労働問題という大きなテーマだが、食べたり飲んだりという場面が、話を常に日常レベルに引き戻してくれる。戦争も言論の自由も、抽象的な話ではなく日常生活を送る生きた人間の話なのだ。
 出演者は歌があまり上手でないところも含めて、みな好演だった。上手に歌うのではなく熱を持って歌うという演出だったのかもしれない。笑える場面もたくさんあった。井上ひさしは何もかも笑い飛ばしてしまいたかったのだろう。感動的で面白くて楽しい、いい芝居だったと思う。

映画「みをつくし料理帖」

2020年10月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「みをつくし料理帖」を観た。
「みをつくし料理帖」と言えば有名な原作で、過去に2回テレビドラマになっているからタイトルに馴染みがある。料理が主体の作品だ。グルメ系の番組が溢れかえっている現在日本のテレビ事情からして、料理を扱った映画は日本人に親しみやすく、本作品もある程度のヒットは約束されている。
 松本穂香はテレビドラマ版の「この世界の片隅に」で、すずさんという大役を好演していたから、本作品でどのような澪を演じるのか、かなり期待していた。
 その期待に違わず、とてもよかったと思う。過去のテレビドラマでは北川景子、黒木華と、それぞれの澪が演じられたが、本作品の松本穂香も、彼女なりのどこかホンワカして悲壮感に陥ることのない明るい澪を表現できていた。
 静かに物語が進む作品で、作品の世界観そのものが何かこちらの琴線に触れるところがあり、何気ない場面にも落涙を禁じ得なかった。その世界観の中心にあるのは多分、思いやりだと思う。
 スープのある担々麺を考案した四川料理の陳建民は「料理は愛情」と表現し、本作品のごりょんさんは「料理は料理人の器量次第」と啖呵を切る。いずれも食べる人のことを思いやる気持ちのことだ。当方の知り合いの料理人は「面倒臭いと思ったら料理人は終わりだ」と言っていた。
 北川景子も黒木華も撮影前にそうしたように、松本穂香も料理を猛練習したのだろう、料理の手付きが非常に手際よく美しかった。こういう努力はそれぞれの女優さんたちの「器量」なのだと思う。
 和食では出汁を引くのに昆布(グルタミン酸)と鰹節(イノシン酸)を合わせるのは今や常識だが、それを考案した天才料理人がいたことに思いを馳せる。
 料理には特許も著作権もない。それでも料理人たちは創意工夫を重ねて、より美味しいものを食べてもらおうとする。聞かれたら食材も作り方も全部教える。自宅でも美味しいものを食べてほしい。競合店に真似されても構わない。もっと美味しい料理を作ればいいだけだ。それが料理人の矜持である。
 澪が作る料理のひとつひとつが美味しそうで、観ている最中から俄然空腹になった。鑑賞後に食事に行くことをおすすめする。美味しいものを食べながら観たばかりの映画を振り返るのも映画ファンの醍醐味だと思う。
 手嶌葵が歌う、松任谷由実作詞作曲の主題歌は、本作品に相応しく静かで透明感がある。タイトルでもある「散りてなお」の歌詞は聴き馴染みのあるメロディで歌われ、初めて聴いた曲という気がしない。名曲の予感だ。
 主題歌をバックのエンドロールでは作品中の料理や場面が一緒に流れ、感動がぶり返して再びハンカチの出番となる。優しさと思いやりに溢れた素晴らしい作品だと思う。