三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「リアル・ペイン心の旅」

2025年02月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「リアル・ペイン心の旅」を観た。
リアル・ペイン 心の旅 : 作品情報 - 映画.com

リアル・ペイン 心の旅 : 作品情報 - 映画.com

リアル・ペイン 心の旅の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「僕らの世界が交わるまで」で監督デビューを果たした俳優ジェシー・アイゼンバーグが監督...

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 空港のノクターン第2番から始まり、ノクタン第1番、子犬のワルツ、華麗なる円舞曲、別れの曲など、誰もが聞いたことがある有名な曲が、場面の転換のたびに劇伴として流れる。もちろん全部ショパンの曲である。ポーランドが舞台の映画だから、当然と言えば当然だ。

 主人公は従兄弟同士の中年男ふたりである。ふたりともアメリカ在住のユダヤ人という設定だ。父母祖父母の人生を考えれば、ポーランドには深い思い入れがある筈だ。一筋縄ではいかない旅になることは予想できる。にも関わらずパッケージツアーを申し込んだということは、同行者に一方ならぬ迷惑をかける可能性は、想像に難くない。

 監督で主演も務めたジェシー・アイゼンバーグは、ショパンの音楽に乗せて、ポーランドを初訪問したユダヤ系アメリカ人の気持ちを表現したかったのだろう。立場によって気持ちも変わるから、時流に乗ってIT業界で稼ぎ、都会で裕福な生活をするデイヴと、時代に乗り切れず、田舎にくすぶって鬱々とした日々を送るベンジーを、従兄弟の関係にしてツアーに送り込んでみせた。
 自分の気持ちを抑え込んで穏便な日々を送りたいデイヴは、ともすれば波乱を巻き起こすベンジーに冷や冷やしながらツアーに臨む。観客はほとんどが常識人だろうから、デイヴに感情移入するだろう。当方もそうだった。ベンジーが何かしでかすのではないかという不安を抱えながらの旅だ。
 旅の結果、デイヴにわかったのは、自分はとてもつまらない人間だということだ。ベンジーは自分の心の中を掘り下げ、その結果を虚心坦懐に話す。ツアーの同行者が感心するのは、当たり障りのない態度の自分ではなく、エキセントリックに見えるベンジーの方である。

 デイヴがその理由に気づくまでが、本作品の肝だ。自分とベンジーとでは、人生の濃さが違う。人間関係の濃さも違うだろう。衝突や対立を恐れるあまり、本音を隠して生きているうちに、自分を見失ってしまう。もしかしたら自分はそれではないか。
 ベンジーは変わらないが、デイヴはこの旅で随分と変わった。心が痛んでも、痛くないふりをして生きてきた。しかし本当はしっかりと痛みを受け止めなければならない。痛いときは泣かなければならない。戦争は嫌だと叫ばなければならない。
 本作品には、そんなメッセージを感じた。アイゼンバーグ監督は、きっと反戦主義者だと思う。

映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」

2025年02月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」を観た。
ザ・ルーム・ネクスト・ドア : 作品情報 - 映画.com

ザ・ルーム・ネクスト・ドア : 作品情報 - 映画.com

ザ・ルーム・ネクスト・ドアの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。スペインの名匠ペドロ・アルモドバルによる初の長編英語劇で、2024年・第81回ベネチア...

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 重くて見応えのある作品である。

 ペドロ・アルモドバル監督の映画を鑑賞したのは、2019年製作の「ペイン・アンド・グローリー」、2021年製作の「パラレル・マザーズ」に続いて3作目だ。どの作品も、複雑な人間ドラマで、共通しているのは、戦争の影を引きずっているところだと思う。

 本作品では、ティルダ・スウィントンが演じたマーサが、戦場記者として様々な戦場に赴き、死の危険に直面した経験を持つ。おそらく目の前で死んでいく人々を目にしたに違いない。孤独な死、無惨な死を目撃して、死がすべてを奪っていくことを痛感したのだろう。
 しかし自分の死は、他人の死とは決定的に異なる。戦死と病死は迎え方も覚悟も違う。年老いた戦場記者は、病気が生む体の不調や痛みや不快感と戦いながら、やがてくる死の瞬間と、その後に思いを馳せる。
 もうすぐ、すべての生きる喜びを失うだろう。そうなれば死ぬことに躊躇いはない。しかし孤独な死は避けたい。自分の死は、ひとりで死んでいくしかないが、死後は速やかに然るべき措置をしてもらいたい。そのためにはどうすればいいか。

 マーサの計画に協力することになったのは、ジュリアン・ムーアの演じるイングリッドだ。普通の危機管理の感覚の持ち主なら、絶対に応じないであろうマーサの要請に応じたのは、彼女の職業が小説家であることが理由だろう。小説家は人間の本質を理解しようとするのが仕事である。マーサの死のありようを見極めたかったに違いない。

 ふたりの名女優のやり取りは、ダイナミックであり、緊迫感がある。立場の違いすぎるふたりが、互いを思いやりながら交わす会話は、真情に満ちている。アルモドバル監督らしい脚本だと思う。コンドミニアムから見える自然はとても美しく、真っ赤な口紅をつけて黄色のスーツを着たマーサのヴィヴィッドな色とのコントラストが映える。恐ろしくも美しいシーンだった。

映画「遺書、公開」

2025年02月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「遺書、公開」を観た。
映画『遺書、公開。』2025年1月31日(金)、全国公開。

映画『遺書、公開。』2025年1月31日(金)、全国公開。

出演:吉野北人 宮世琉弥 志田彩良 松井奏 髙石あかり 堀未央奈 忍成修吾 監督:英勉 脚本:鈴木おさむ

映画『遺書、公開。』公式サイト

 とても面白かった。ほとんどのシーンが教室の中だから、自然に演劇的なドラマになる。会話劇が中心になるのだが、脚本がよく練られていて、少しも退屈しない。
 タイトルのとおり、ひとりひとりにあてられた遺書を公開していく展開で、遺書の文言の解釈を巡って、責められたり、開き直ったり、反撃したりする。発表者以外の者同士で揉めたりもする。人間関係の乱高下が大きいので、次の展開を予想するのが困難になるが、それがまた面白い。

 テーマとしては、無自覚ないじめということになるのだろう。実際に、いじめの8割は無自覚であるというアンケート結果もある。成績や運動能力などの基準で、相手を傷つける意図なしに他人の人格を否定する訳だ。場合によっては名前や容姿、家庭環境といった、本人にはどうにもならないことでいじめたりする。
 学校行事のシーンでいじめられることが多いことから、学校行事そのものの是非が問われている気もするが、学校行事に限らず、いじめの場面は遍在する。対症療法では手が回らなくなりそうだ。
 アベシンゾーの教育改革で、道徳の時間も成績評価の科目となった。教えられている内容はというと、父母と祖父母、教師と学校関係者を敬愛しろ、国や郷土を愛する心を持て、公共のために役立つことをしろ、といった、いわゆる右翼教育だ。

 憲法が法の下の平等を謳っているのに、小中学校で上下関係をもとにして下の者は上の者を敬愛しろと強制しては、基本的人権は尊重されなくなる。上位が下位の敬愛義務を盾にして、いじめたり服従させたりするのが正しいことになるからだ。
 教師が自分のことを「先生」と呼ぶのは、すでに自分が上で、子供たちが下だという階級意識の現れである。学校という場所は、そもそもいじめの温床としての条件をあらかじめ備えているのだ。

 高校の頃、そういうことを意識している教師がいて、自分のことは先生と呼ばないで、〇〇さんと、苗字で呼んでくれと言っていたが、他の教師から「しめしがつかない」と、ヤクザみたいな思考回路で反対されていた。
 学生の中には、ヤクザ教師の方をもつ者もいたが、多くは、名字で呼ぶと、教師と学生の垣根を超えて、人間同士の話ができることを悟った。ひとりの教師の小さな抵抗に過ぎなかったが、上下関係の厳しい教育現場では、大きな勇気が必要だった筈だ。だからこの教師のことを尊敬している学生は多かった。

 本作品は、学校という歪んだ空間を否定するよりも、その空間の中での人間関係に着目する。水に石を投げ入れると波紋が広がるように、どんな石をどこに投げればどんな波紋になるのかを面白がる様子を描いている。人が死んでも苦しんでも、誰も頓着しない。
 閉鎖的な社会では、こういうことも可能なのだと思うと、恐ろしい気がした。目に見えないカーストを利用した、新しいタイプのいじめかもしれない。