三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「グッドナイト&グッドラック」

2025年02月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「グッドナイト&グッドラック」を観た。
グッドナイト&グッドラック : 作品情報 - 映画.com

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グッドナイト&グッドラックの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。俳優ジョージ・クルーニーの監督第2作で、「赤狩り」が猛威をふるう1950年代のアメリカ...

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 兵庫県の出直し知事選挙を想起した人は多いのではないか。あの選挙では、マッカーシー上院議員をイメージさせる人が大活躍(?)した。根拠のないことで人を追い詰めるところがそっくりである。追い詰められて自殺した議員がいるところも同じだ。
 いつの時代にも、基本的人権を理解しない、あるいは理解できないふりをする政治家が一定数存在し、暴言を吐いたり記者会見をしたり訴訟を起こしたりする。良識から外れた存在は、街を我が物顔で闊歩するチンピラみたいなもので、庶民はとても迷惑する。チンピラ政治家である。街のチンピラと違って、法律のスレスレのところを堂々とやるものだから、なおさらたちが悪い。

 ところが不思議なことに、チンピラ政治家は、必ず一定の支持を集める。強い口調で一方的な主張をする姿は、少数意見を慮って慎重な発言をする政治家に比べると、ある意味で雄々しく見える。迫力があって立派な主張をしている印象を受けてしまうのだ。
 自分で考えることをしない有権者は、往々にしてそういう政治家を選びがちである。チンピラ政治家は強いものの味方で、弱い人を攻撃したり見捨てたりするから、そういう連中ばかりが当選すると、必然的に弱いものいじめの政治になる。日本もアメリカも既にそうなっている。ヨーロッパの国々も、そうなっていきそうな雰囲気がある。

 権力が腐敗してしまうのに歯止めをかけるのは、第四の権力と言われる報道機関だ。第二次大戦後の世界では、再び憎悪の世界にしてなるものかと、ジャーナリストにそれなりの気概があった。それを描いたのが本作品である。
「あなたの言うことにひとつも賛成できるところはないが、あなたがそれを言う権利があることは、私は命を懸けても守るつもりだ」は、民主主義と言論の自由の原則を述べた言葉として有名だ。ジャーナリストなら知らない人はいないと思う。どんな逆風の中でも、言論の自由の権利の行使をすることが、報道人の矜持だろう。
 本作品のテレビマンたちには、会社員であるより前に、報道人としての自覚と気概がある。マッカーシー人気や経営者の思惑に背いても、30分間の報道にすべてを懸ける。チンピラ政治家に恐れをなして、報道を控える者たちは、報道人を名乗る資格がない。