日々好日・いちよう

ちょっとした日々の一コマです

原田マハ著「太陽の棘」

2017-01-09 | 読書
昨日と今日で読み終えた一冊
原田マハ著「太陽の棘」文春文庫刊



インパクトの強い肖像画と帯の一文
 原田マハにしか書けない。アートと沖縄の物語
 事実をもとにした感動作

敗戦後直ぐに沖縄に赴任した24才の軍人の精神科医エド
アメリカの親にねだって真っ赤なポンティアックを送ってもらった。
那覇基地を出て焦土と化した塀の外に乗り出す。
子どもたちにばらまく為に飴を忍ばせ、
ノー天気に飴を差し出すが、手酷い拒絶にあい狼狽する。

戦後70年の今でも、
沖縄に駐屯していたと親近感を持って話すアメリカ人
苦々しく聞く日本の私たち。
戦後の沖縄はアメリカの植民地そのもの
身内や友人知人を殺され、我が物顔にしたい放題のアメリカ兵
余りにも鈍感だった。

だが、茶色い景色の中に緑の繁る集落では人々は違った。
沖縄出身の画家達が本土から帰って集団で暮らしている芸術家村だった。
芸術を理解する若者達に分け隔てなく接していた。

アメリカ人の精神科医の視点で物語は進むが
うっかりすると、作者がアメリカ人と勘違いして読み進んでしまう
占領されている人よりの視点につい心が弾む
いやいや、「作者は日本人」心で確かめながらページを繰る。

いつしか一緒にスケッチをし、自画像(表紙の絵では無い)にアドバイスを貰い作成する。
基地の内側と占領されている人々の違いをあからさまにしつつ
事件は起こり、エドは本国に強制送還され、
感動的な場面で物語は終る。

巻末の作者の謝辞には、
サンフランシスコの精神科医に会って取材をし
精神科医のコレクションが沖縄に里帰りし、展覧会が開かれた。
(見たかったなあ〜〜)

佐藤優氏の解説にある 山口獏の詩の一節
 梯梧の花の咲かない沖縄
 那覇の港に山原船のない沖縄

梯梧はデイゴだろうし
山原船はヤンバルだろうし
沖縄の言葉を漢字で書かずにカタカナにするのはなぜだろう

沖縄の人が常々感じているだろう他人事の日本
戦後(江戸時代から)ず〜〜と続いている違和感

ますます強まる意識を感じつつ
皆さんに是非ともお勧めしたい一冊です。
コメント
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