このままでは日本は奈落に落ちるだけである。政治がまったく機能していないからだ。国益を放棄して、韓国や中国の言いなりになっているのは、あまりにも異常過ぎる。菅直人首相や民主党政権は、自分たちがリベラルであることの宣伝に用いようとしているのだろうが、国際政治は綺麗ごとですむはずがない。日本でリベラルを名乗る連中は、国家について、あたかもフィクションであるかのような言い方をしてきた。しかし、北朝鮮の拉致に見られるように、外国からの脅威は現実に存在するのを忘れるべきではない。今この国は危機まっただなかにあり、草莽の志士としては、慟哭の思いで事に処すきだろう。影山正治は『子規の尊皇歌』のなかで、あえて次の歌を引きながら、正岡子規が保守主義者であった点に注目したのだった。
瓶にさす藤の花ぶさ短かければ畳の上にとどかざりけり
影山は「畳の上にとどかざりけりに無限の思いを託しているのである。明らかに物の歌ではなく、心の歌である」と断じたのである。日本が滅びにいたろうとしているのを阻止するために、今こそ草莽の者たちは、それなりの覚悟が求められる。やるせない苛立ちのなかで、愛国の心が培われてくるからだ。そして、民主党政権を打倒するために、自らのいたらなさを反省するだけでなく、情念においてそれを突破していかなくてはならないのだ。「畳の上にとどかざりけり」であったとしても、座して死を待つわけにいかない。行動する保守への脱皮こそが、喫緊の課題なのである。
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