草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

無限の思い託した子規の歌を草莽の指針に

2010年08月13日 | 思想家

 このままでは日本は奈落に落ちるだけである。政治がまったく機能していないからだ。国益を放棄して、韓国や中国の言いなりになっているのは、あまりにも異常過ぎる。菅直人首相や民主党政権は、自分たちがリベラルであることの宣伝に用いようとしているのだろうが、国際政治は綺麗ごとですむはずがない。日本でリベラルを名乗る連中は、国家について、あたかもフィクションであるかのような言い方をしてきた。しかし、北朝鮮の拉致に見られるように、外国からの脅威は現実に存在するのを忘れるべきではない。今この国は危機まっただなかにあり、草莽の志士としては、慟哭の思いで事に処すきだろう。影山正治は『子規の尊皇歌』のなかで、あえて次の歌を引きながら、正岡子規が保守主義者であった点に注目したのだった。 

 瓶にさす藤の花ぶさ短かければ畳の上にとどかざりけり 

 影山は「畳の上にとどかざりけりに無限の思いを託しているのである。明らかに物の歌ではなく、心の歌である」と断じたのである。日本が滅びにいたろうとしているのを阻止するために、今こそ草莽の者たちは、それなりの覚悟が求められる。やるせない苛立ちのなかで、愛国の心が培われてくるからだ。そして、民主党政権を打倒するために、自らのいたらなさを反省するだけでなく、情念においてそれを突破していかなくてはならないのだ。「畳の上にとどかざりけり」であったとしても、座して死を待つわけにいかない。行動する保守への脱皮こそが、喫緊の課題なのである。

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「海行かば」の精神を忘れた日本人

2010年08月13日 | 思想家

 先の戦争が誤りであったかどうかは議論が分かれるが、勇んで戦地に赴いた若者の志だけはくみとるべきであるのは、同じ日本人であるならば、言を俟たないのではなかろうか。民主党政権が誕生したことで、この国では愛国心が忘れられてしまったかのようだ。旧制中学で予科練に志願し、カミカゼ特攻隊になるべく訓練を受けた私の父は、心労がたたって、若くしてこの世を去らなければならなかった。大津の航空隊では、赤トンボの訓練が終わった着陸直後、グラマンの機銃掃射を受けて九死に一生を得たのだった。旧式の練習機に爆弾をぶら下げて、海面すれすれに飛び、敵艦に体当たりすることだけを指示されていたという。出撃をする友も数多く見送ったが、水盃のときには、誰もが顔面蒼白であったとか。終戦後の一年間は、虚脱状態から抜け出せずにいた。しかし、父は、日本という国家を否定することは、一度たりともなかった。山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビルで米軍機に撃墜されたことについては、「墜落する寸前に割腹したのだ」と言ってはばからなかった。戦争体験者が一握りになるにつれて、靖国神社で再会を約束した者たちの願いは、政治の都合によって、簡単に踏みにじられつつある。英霊を祀ることのない国家というのは、果たして存続することができるのだろうか。亡国の道を歩み始めているこの国の末路は、あまりにも悲劇的である。

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