草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

平成の世に攘夷決行の勇気ありしや

2010年08月25日 | 思想家
 還暦を目の前にすると、やっぱり人生ということを考えてしまう。今まで生きてきたことがどうだったか、これから何ができるかということを自問自答するようになる。70年安保騒動のときは、まだ高校三年生であった。会津地方で新民族派の高校生組織を立ち上げたことが、懐かしく思い出される。三島由紀夫と森田必勝の両烈士が自刃したのも、その年であった。数名の同士とともに血判をし、勇んで後に続こうとしたが、それはかなわなかった。大学に入ってからは、ノンセクトラディカルのグループに親近感を抱いた。新左翼の諸党派とは肌合いが合わなかったが、アナーキーな黒ヘルグループに、土俗的な情念を見出そうとしたのだった。通っていた大学のプレハブの学生会館に、スプレーで昭和維新の歌が書かれていたのも、場違いだとは思わなかった。行動するものの美意識は、絶えず死と背中合わせであり、イデオロギーは違っていても、情念においては相通じるものがあった。しかし、今はそうではない。これまでであれば、新新右翼と呼ばれる人たちがそうであったように、国家たりえなかったことへの反発からの行動であったが、もはやそれは過去のこととなった。日本が滅びるかどうかの瀬戸際であるからだ。平成の世にあって、幕末のときのように、攘夷を決行することで、国を救おうとする気概があるかどうかなのである。  


少年の眼に映りたる美(う)まし国取り戻さんと雄たけび上げん


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やっぱり田舎芝居だった民主党代表選騒動

2010年08月25日 | 政局
 何度でも書くが、民主党の代表選騒動は、無為無策の政治から国民の目をそむける田舎芝居でしかない。ここにきてようやくはっきりしつつあるが、小沢一郎前幹事長は、出馬する気持ちなど、最初からなかったのである。できれば、自分の派閥で幹事長を押さえたかっただけだ。党を割る覚悟などなかったのである。菅直人首相にしても、喧嘩して損なのは知っているから、妥協点を探っていただけなのである。お互いが代表選を戦うにしても、明確な争点などあるはずもない。日本の国のかたちを守ろうとしないことにおいては、菅も小沢も同罪であり、沖縄の普天間基地移設問題でも、誠実さが見られない。喫緊の課題である円高、株安についても、二人とも傍観者を決め込んでいる。昔の自民党と同じように、これから菅と小沢の手打ち式が行われるのだろう。まったく馬鹿げたことだ。してやったりとほくそ笑んでいるのは、無能な民主党の政治家たちだろう。テレビに登場すればするほど、民主党の支持率はアップするからだ。しかし、今回のことでも化けの皮がはがれており、今は国民を騙せても、それは長くは続かないだろう。

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