いつの時代にも国を憂いて決起した若者はいた。明治維新後の旧会津藩士とて例外ではなかった。幾人かが刑場の露と消えたのである。そのなかに井口隼人もいた。旧会津藩が転封された斗南藩の小参事となり、その後に政府攻撃の評論新聞社を成立した永岡久茂とともに、明治九年、井口は千葉県庁を襲撃しようとしたが、事前にことがもれ、警察官との間で斬り合いとなって捕縛され、四週間後に斬罪に処せられた。世にいう「思案事件」である。旧長州藩士の前原一誠らによる「萩の乱」に呼応しようとしたのである。武力によって明治政府に楯突こうとしたが、志を果たさないままに、若い命を散らしたのだった。いかにかなわぬ夢であっても、身を捨てることを潔しとするパトスは、旧会津藩士のなかにも脈打っていたのである。おびただしい骸を乗り越えて、歴史は刻まれるのだ。どのような結果になるかは、神のみが知るだけであるが、それであっても、若者は変革者たらんとするのである。井口の絶命詩は、その心意気を語っており、後に続こうとする者の肺腑を衝くのである。
碌々(ろくろく)生を偸(ぬす)むは我が慙(は)ずる所
年華二十已(すで)に三を加ふ
精心百折すとも曾(かつ)て撓(たわ)まず
報国挺身即ち是れ男なり
詩は松本健一の「歴史の底の冷たい炎」(『日本及日本人』・1976年盛夏号)より引用

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碌々(ろくろく)生を偸(ぬす)むは我が慙(は)ずる所
年華二十已(すで)に三を加ふ
精心百折すとも曾(かつ)て撓(たわ)まず
報国挺身即ち是れ男なり
詩は松本健一の「歴史の底の冷たい炎」(『日本及日本人』・1976年盛夏号)より引用

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