草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「危険な思想家」も見当たらない凡庸な時代

2010年08月20日 | 思想家
 去る6月、峰たけしのペンネームで『先人に学ぶ憂国の言葉』を長崎出版から出したが、ようやく売れ始めたようだ。あくまでも読書ノートでしかないが、書き手としては、これまでのどの本よりも愛着を感じている。しかし、最近の日本には、論評に値するような思想家は皆無で、わざわざノートに書きとめたくなる文章にも、ほとんど出会うことがない。それだけ凡庸な時代になったのだろうか。たまたま書斎で蔵書を整理していたらば、山田宗睦の『危険な思想家 戦後民主主義を否定する人々』という本が目に飛び込んできた。光文社のカッパブックスの一冊で、高校生のときに、むさぼり読んだものである。初版発行が昭和40年3月1日となっており、昭和45年頃、東京に出かけたおりに、ない金をはたいて、神保町の古本屋で買ったのを覚えている。「まえがき」で、進歩的文化人を擁護していた山田宗睦が「戦後を擁護するとともに、戦後を殺そうとするものたちを告発した書物として書いた」と気負っていたのが印象的であった。サヨクの言説に飽き足らなかった身としては、それが危険思想家に入れあげるきっかけともなった。そこに登場する文化人は、マルクスあたりの解釈にあけくれている文化人と違って、レベルが高かったからだ。美的教養人の竹山道雄、雑誌「心」を中心にした心グループ、左翼からの転向者で、純粋な心情を保持し続けた林房雄、危険な美の使徒と呼ばれた三島由紀夫、行動する文学者の石原慎太郎とあっては、影響されない方がどうかしている。若いときと違って、今の日本を見渡して、危険な思想家などは、どこにも見当たらない。凡庸な者たちが囃し立てているだけだ。つまらない時代になってしまったものである。民主党の内紛劇も単なる泥仕合だし、お子様政治の延長でしかない。あらゆる分野で、凡庸化が進んでいるのだから、危険な思想家が現れるはずもないが。

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漂流を続け難破を待つだけの民主党政権

2010年08月20日 | 政局
 団塊の世代のすぐ後に生まれた者として、やっておかなくてはならないことは、戦後体制の総決算である。世界は暴力の海のただなかにあるのに、日本人が憲法9条を口にすれば、平和が維持されるという甘い見方は、すぐにでも改めるべきだろう。民主党政権が誕生し、鳩山由紀夫、菅直人という団塊の世代が総理大臣になって、なおさらその傾向が強まった。このため、現実とのギャップによって、政権運営がままならなくなっており、大幅な軌道修正を迫られている。戦後の日本は、世界の平和を達成するために、応分の負担をすると言う気概を失った。連合国による日本弱体化によって、実力を行使する力を奪われたからだ。しかし、それでも歴代の自民党政権は、憲法の制約下であろうとも、それなりの国際貢献を模索してきた。しかし、民主党政権になっては、それが大幅に後退した。目前に迫った民主党の代表選でも、そうした国家論をめぐっての議論はなおざりにされたままで、権力の争奪に血眼になっているだけだ。それでいて、その場しのぎに終始する菅首相は、中国への警戒感から、米国との軍事的な同盟関係の強化に踏み切ろうとしている。国家観と戦略を欠いているために、日本自身が主導権をとれず、米国の言いなりである。戦後体制を否定するというのは、自国の領土は自国で守るという原則を貫くことであり、米国との役割分担を明確にすることだ。清水幾太郎は晩年になって「日本よ国家たれ」と訴えた。六十年安保闘争で、全学連主流派と行動を共にした清水は、国家ビジョンという羅針盤を日本が持つことを望んだのだった。これから予想される政界再編のキーワードは、まさしくそれではなかろうか。漂流を続ける日本丸では、前途が危ぶまれてならないからだ。

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