政治塾が色々とあって、そこにどれだけ集まったかをマスコミは大々的に報道しているが、そんなことどうでもよいではないか。あくまでも一つの宣伝であり、それに乗せられてお先棒を担ぐ方が愚かなのである。しかし、小沢一郎や橋下徹が主宰した塾で、一体何を学ぶのだろうか。私からすれば、塾と呼ぶに値するのは、松下村塾や大東塾のことである。いずれも功業ではなく、忠義をなさんとした血盟の同志が中心であり、命がけで維新回天を目指したのだ。上昇志向でもって、政治家になりたいというのとは、志の質が違うのである。テレビで引っ張りだこの講師の話を聞いて、いっぱしの政治家になれるわけがない。私は影山正治の大東塾について知ったきっかけは、橋川文三の『歴史と体験』であったが、国を思う一途さに、心打たれるものがあった。それだけに、昭和44年に発刊された影山正治の『日本民族派の運動』は、時間があるといつも目を通している。権力に媚びることなく、時流に抗した精神には、ただただ頭が下がるからである。そして、昭和54年5月25日に自決した影山は、私たちに次の歌を残したのである。「民族の本ついのちのふるさとへはやはやかへれ戦後日本よ」。吉田松陰の松下村塾も、已むに已まれぬ者たちが集まった。大東塾もまた同じである。そうした精神があって始めて塾なのである。「民族の本ついのちのふるさと」へ目を向けずして、功利と打算のアメリカニズムに与するような政治塾を、どうして保守民族派が認めることができよう。
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