中野剛志がチャンネル桜に登場して、会沢正志の『新論』について喋っていたので、ついつい聞き耳を立ててしまった。中野は会沢が海外の知識に精通していたことにビックリしていたが、徳川の御三家である水戸藩は、寛政の異学の禁を行った松平定信をバックアップする一方、洋学の本をかたっぱしから集めたりして、情報収集に血眼になっていたのである。また、中野は会沢に代表される水戸学に関して、伊藤仁斎や荻生徂徠の古学派の影響を問題にしていた。身を修めれば立派な政治が行われるといった朱子学ではなく、政治にも技術が必要だというプラグマチックな物の見方が、会沢にあるからだろう。丸山真男も『日本政治思想史研究』で、『新論』を「国体の尊厳より説き起こして、世界情勢と欧米列強の東亜侵略の方策を述べて、之に対する防衛体制を緊急措置と根本対策の両面から論じた頗る組織的な論作」と解説している。そうした中野の見方は、学者としては一流だが、維新革命家としての吉田松陰のパトスには届かない。会沢は農兵を組織することを提案しつつも、それによって幕府が倒れることを恐れていた。攘夷論が倒幕へと向かったのは、水戸学を突き抜けた松陰においてなのである。今もまたそうした時代を迎えつつある。松陰のごとき激派攘夷論は、打算や功利を無視した已むに已まれぬパトスからのものであり、それが結果的には、日本に維新をもたらすことになるのだ。
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