小沢一郎は過去の人であり、攻撃する意味すらない。さらに、夫婦の間のことをとやかく言うのも、私にはできない。世界中どこを探しても、円満な夫婦などというのは、皆無に近い。私が小沢に失望したのは、保守の精神が微塵もないことだ。前尾繁三郎の言葉を借りるならば「伝統の上に創造を、秩序の上に進歩を求めること」(『政の心』)なのである。つまり、守るべきものがまずあって、それを保存するために、変革するのである。小沢の場合は、一に変革、二に変革であった。それでは本末転倒で、かえって混乱を引き起こしただけだ。塩野七生がどこかで書いていたように、その剛腕によって、日本の議会政治を揺るがぬものにして欲しかった。それに全力投球していれば、いくら汚職の疑いがかかったとしても、優れた指導者として、小沢は歴史に名をとどめることになったろう。しかし、それはかなわぬ夢でしかなかった。夫婦の仲まで暴かれ、国民の多くから笑いものにされるにいたっては、政治どころの話ではない。まるで道化者ではなかろうか。これ以上小沢は、晩節を汚すべきではない。まだ惜しむ人がいるうちに、政界を去るべきだろう。勝負はほぼ決まったわけだから、無駄な抵抗はあまりにも惨めだ。最終的な政治家の価値は、出処進退で決まるといわれる。小沢はとっくの昔に終わった人なのだから、明日にでも、潔く身を引くべきなのである。
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