柄谷行人の演説を久しぶりに聞いた。昨年の9月11日に新宿のアルタ前で行われたものが、ユーチューブにアップされていたからだ。あまりにもたどたどしいので、拍子抜けしてしまった。私が学生時代の柄谷は、あんなではなかった。小林秀雄ばりにべらんめえ調で、突拍子もない飛躍の連続でありながらも、かなり説得力があった。デモ参加者の前で、まともなことを言えないのは、思想的に行き詰っているからではないか。デモをすることが全てであるかのような内容にもガッカリした。もう柄谷の時代も終わったのだろう。それほどまでデモにこだわるのならば、保守民族派のことも論じるべきだろう。これまで少数派であったのが、徐々に勢いを増しており、デモと言えばサヨクというのは、とんでもない勘違いだ。岩波に代表されるサヨクの言説が戦後の日本を支配したがために、、柄谷のような優等生が生まれたのである。そして、柄谷が述べたように、デモをすることが主権者としての唯一の責務であるのならば、わけもわからない文章を書くことを止めたらどうだろう。連日、デモ隊の先頭に立てばいいのだ。柄谷に影響を与えた江藤淳、吉本隆明には毒があった。それと比べると柄谷は、民主主義を訴えるだけで、通り一遍でしかない。それが限界なのだろう。かつて私は彼のファンであったが、あの演説を聞いて、二度と本を買うまいと思った。心ここにあらずで、口から出てくる言葉は、お題目と大差がなかったからである。
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