草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

土地神や穀物の祭壇から追われ流浪の民となった避難者!

2012年06月19日 | 思想家

 人間などというのは、ちっぽけな存在なのに、全てを支配できると思うのが、大きな勘違いなのである。神の姿に似せて創造されたために、人間に全権が委任されたというのが、キリスト教だ。だからこそ傲慢なのである。しかし、日本人の信仰はそうではない。自然界には、私たちの手に負えない力が働いており、八百万の神に手を合わせてしまうのは、それらのことを直感的に、日本人は理解しているからだろう。多くの日本人と違って、人間の力を過信し、未来はバラ色だというのが、キリスト教の影響を受けたサヨクである。原子力発電によって死の灰まみれになるというので、一応脱原発のポーズはとっていても、技術の進歩に関しては、楽観論者なのである。これに対して、あくまでも悲観論者で、脱原発どlころか、反近代であるのが保守民族派なのであり、日本のかけがえのない自然が破壊されたわけだから、激怒するのがあたりまえだ。よく引き合いに出される社稷という言葉にしても、土地神の「社」と、穀物の神を祀る祭壇の「稷」からなっている。原発事故で避難した人たちは、土地神や穀物の神を祀る祭壇から追われて、流浪の民となってしまったのだ。経済合理性だけで物事を決めるのではなく、危機の時代だからこそ、農本主義の原点に立ち返るべきだろう。そして、食住の場を奪った政治に立ち向かうのは、保守民族派として当然のことなのである。

 
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自民党は野田首相の無節操無原則に安易に与するな!

2012年06月19日 | 政局

 野田佳彦首相を始めとする現在の民主党執行部は、明らかに自民党や公明党に軸足を移し、党内の「小沢、鳩山、菅」系とは一線を画しつつある。櫻田淳は今日の産経新聞の「正論」で、そうした野田の軌道修正を持ち上げ、「日本政治の停滞を克服していく上では、建設的な意義があろう」と論評している。もちろん、櫻田とて手放しで支持しているわけではない。その前提として「野田首相が早々に衆議院解散・総選挙に踏み切ることである」と主張している。国民の審判を受けた上で、安定した政治勢力が誕生することを待望しているのだ。しかし、それは甘過ぎはしないか。すぐにでも野田首相がその前提を呑めばいいが、あくまでも希望的観測でしかない。このままズルズル引っ張る可能性が高いのだ。そして、かりに実現したとしても、危惧されのは、日本の政治がオール与党化することだ。東日本の深刻な原発被害を、これまで以上に隠蔽する可能性すらある。さらに、政治を安定させることばかりにこだわると、消費税増税も、TPP交渉参加も全てOKということになりはしないか。野田首相は、できもしないことを並べ立てた鳩山元首相、菅前首相よりはましだとしても、無節操無原則であれば、これまた困るのは国民ではなかろうか。野党である自民党は、まずは民主党政権の問題点を厳しく追及すべきであり、安易に手を差し伸べるべきではない。


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