人間などというのは、ちっぽけな存在なのに、全てを支配できると思うのが、大きな勘違いなのである。神の姿に似せて創造されたために、人間に全権が委任されたというのが、キリスト教だ。だからこそ傲慢なのである。しかし、日本人の信仰はそうではない。自然界には、私たちの手に負えない力が働いており、八百万の神に手を合わせてしまうのは、それらのことを直感的に、日本人は理解しているからだろう。多くの日本人と違って、人間の力を過信し、未来はバラ色だというのが、キリスト教の影響を受けたサヨクである。原子力発電によって死の灰まみれになるというので、一応脱原発のポーズはとっていても、技術の進歩に関しては、楽観論者なのである。これに対して、あくまでも悲観論者で、脱原発どlころか、反近代であるのが保守民族派なのであり、日本のかけがえのない自然が破壊されたわけだから、激怒するのがあたりまえだ。よく引き合いに出される社稷という言葉にしても、土地神の「社」と、穀物の神を祀る祭壇の「稷」からなっている。原発事故で避難した人たちは、土地神や穀物の神を祀る祭壇から追われて、流浪の民となってしまったのだ。経済合理性だけで物事を決めるのではなく、危機の時代だからこそ、農本主義の原点に立ち返るべきだろう。そして、食住の場を奪った政治に立ち向かうのは、保守民族派として当然のことなのである。
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