中原中也が孤独であったのは、黒づくめの服と帽子、そして、少女のようなあどけない目をしていたからではない。アナーキストとして、あらゆる権威に反抗したからではないか。しかも、教条的なサヨクでないがゆえに、それが見落とされてしまったのだ。切ないものがこみあげてくるのは、中也が酔っぱらって、ある家の軒燈に石を投げたというエピソードである。おぼつかない私の記憶ではあるが、確か昭和50年代始めの岩波の『文学』に、それを取り上げたフランス人学者の論文が載っていたのを覚えている。それがフランスであれば、いくばくかの人たちの共感を呼ぶのに、日本では犯罪者扱いをされて、中也は15日間も留置場に繋がれたのである。日本で反逆するということは、絶対的な孤立を強いられ、時には狂気にさえ人を導くといわれる。そうした虚無というか、暗い闇の前に立つことがなく、インテリであることを鼻にかけて、無垢な民を支配しようとするのが、薄汚れたサヨクの特徴なのである。今の日本の現状はどうだろう。そんな連中ばかりではないか。金子光晴の「反対」という詩の一節にある「いつの政府にも反対であり/文壇画壇にも尻をむけている」との気概が感じられない。かえって、民主党政権に尾っぽを振っている始末だ。誠実であり続けた中也が、最期まで反逆の心を持ち続けたのと比べれば、ご都合主義もいいところだ。
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