国民を煽るだけ煽っておいて、最終局面で裏切るのが、民主党政権の常套手段である。福井県の大飯原発の再稼働に対して、反対の署名をしなかった国会議員のなかに、元首相の菅直人がいたのには唖然とした。「脱原発を争点にして総選挙をやるべきだ」と力んでいたくせに、再稼働を推進する野田佳彦首相を支持するのだから、言行不一致もはなはだしい。脱原発というスローガンにしても、それはあくまでも、自分がしでかした不始末を、国民から責められたくないからだろう。何をしても許されるという民主党政治は、悲劇を通り越して、もはや喜劇でしかない。今の日本では、マックス・ウェーバーの言うような合法的支配も、カリスマ的な支配も意味をなさなくなっている。佐伯啓思が指摘するように、それが機能するためには「合法的支配においては、手続きに対する信頼、そして手続きを支える官僚機構に対する信頼がなければならない。一方、カリスマ的支配においても指導者の資質に対する強い信頼がなければならない」(『現代民主主義の病理』)からである。それをまったく持ち合わせていないのが、野田首相率いる民主党政権なのである。自分からぶちこわしているのだから、国民が付いてゆくわけがないのだ。「私は嘘を申しません」と演説したのは、所得倍増を達成した池田勇人であったが、言葉が信用されなくなった段階で、政党も政治家もお払い箱なのである。
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