たった今、東京から帰ってきた。一泊2日で仕事の打ち合わせをしてきたが、JRのお茶の水駅近くの古書店から、梅棹忠夫の『知的生産の技術』の本を買った。岩波新書のせいもあって、帰りの電車のなかで読むには、ちょうど手頃であった。そして、思わずにんまりしてしまった。カード式がどうのこうのよりも、誤字・あて字の類について、ユニークな意見を述べていたからだ。学生の文章を批判するときに、すぐに槍玉に挙がるのがそのことである。梅棹は「そんなことなら、ほんとうはたいしたことではないのだ」と言い切っているばかりか、「明治時代の文豪と称せられる人たちだって、原文にあたれば、おそろしい程度に誤字・あて字をかいている」のを問題視する。そして「用字・用語については。むかしよりはむしろ、よほどましになってきた」との見方をする。もちろん、技術としての文章を論じた梅棹が、それを無視していいとは言っていない。それ以上に「ちゃんとすじのとおった、よんでわかる文章がかけるかどうか」なのである。ブログを執筆したがらない物書きがいる。他人の校正を経ないわけだから、誤字を指摘されるのが恐いからだろう。しかし、あくまでも現在進行形なのがブログである。発覚した時点で、訂正すればいいのである。本格的にやるようになって、私も2年以上経過した。失敗の連続であったのに、温かい目で見守ってくれる皆さんのおかげで、途中で放り出さずに継続している。いつも肝に銘じているのは、どうすれば私自身の思想が伝わるかであり、平明さだけを心がけている。
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