橋下徹がまともだと思ったことはないが、石原慎太郎と組めば少しはましになるかと期待したのに、それも買いかぶりであったようだ。マスコミは必死に持ち上げているが、それもいつまで続くことやら。大阪と言えば横山ノックの例もある。面白半分で票を集めたコメディアンが、「パンパカパーン」と大騒ぎしただけであった。それでも大阪人は、ノックを支持したのである。今回だってそれと大差がない。原発を再稼働し、デフレ下の増税を強行しようとしている野田佳彦首相に、急にエールを送ってみたり、小沢一郎の新党と組む条件として、TPPに賛成かどうかを踏み絵にしたりで、勝手な思いつきのレベルだ。政治家としては下の下である。口当たりのよいスローガンに飛びつき、その場しのぎで責任を取らない。これでは独裁者にもなれないだろう。一貫性の欠如は、坂口安吾が『堕落論』で指摘していた「道化」そのものではないか。頓珍漢の頂点を極め、最終的には物笑いの種になるのだ。一時的に橋下を支持し熱を上げた者たちも、時が過ぎれば、舌を出すに違いない。いうまでもなく、橋下ごときで政治的な課題が解決されるわけはない。アナーキーなことにもならずに、中途半端に終わのである。そして、「道化」が露払いをした後に、本物の貴人か怪物が登場するのではないか。私の興味はそれが誰かということであり、橋下などはどうでもいいのである。
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