オリンピックは参加することに意義があるとしても、日の丸がメインポールに揚がれば、日本人であれば、誰もが目頭が熱くなるのではないか。今行われているロンドンオリンピックでは、まだ今日の段階でそれが実現していないが、これから頑張ってもらいたい。ロンドンでの日本人の応援でも、たくさんの日の丸の旗が振られている。外国に出かけて始めて、日本人であることを再認識するのだろう。そして、自国の選手に、絶大な声援を惜しまないのである。それをナショナリズムと批判するのは、エセインテリの常だ。横文字でしか物事を考えられないだけに、彼らにとっては、日の丸に感動する日本土民などは、軽蔑の対象でしかないのだろう。シナの学問に明け暮れていた山鹿素行は、赤穂に流されたことで自問自答し、日本に目覚めたのである。『配所残筆』のなかでは「耳を信じて目を信ぜず、近きを棄てて遠きを取る」という立場を否定した。シナでは革命が繰り返し行われたのに対し、日本は神代から連綿として皇室が続いている。そのことを素行は高く評価したのだ。山崎闇斎は「シナから孔子や孟子を大将として攻めてきたらば、お前たちはどうするか」と弟子たちに向かって質問した。弟子たちが困っていると、闇斎は「孔子や孟子と戦って、あるいは斬り、あるいは生け捕りにするのだ。それが孔子の教えだ」と言い切った。二人とも日本という国家のかけがえのなさは熟知していた。それと比べると、エセインテリは舶来の物にぞっこんなのであり、日の丸に敬意を表するわけがないのだ。
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