草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

谷垣の真価問われる9日の衆議院予算委員会での質問!

2012年07月06日 | 政局

 野党自民党に頑張ってもらわなくてはならないのに、谷垣禎一総裁がもう一つパッとしない。真面目なのは分かるが、政治は権力闘争であり、そこで勝たなければ意味がないのである。9日の衆議院予算委員会で、自民党のトップバッターとして質問するというが、目が笑っていたのでは駄目だ。解散・総選挙に追い込む気迫がなければ、自民党自体が見放されるだろう。かつての自民党は人材に恵まれていた。世襲政治家も少なかったし、百戦錬磨の腹が据わった人たちもいた。二世議員の谷垣からは覇気が感じられない。だからこそ、野田佳彦首相と同じで、財務官僚の言いなりになってしまうのではないか。さらに、以前の自民党には、官僚政治家と党人派という色分けがあった。それは派閥以前の問題で、戦後日本の方向性を定めた吉田茂が官僚出身者を抜擢したために、それが現在の自民党にまで及んでしまった。それに対して、党人派の筆頭であった鳩山一郎のもとには、松野鶴平、三木武吉、河野一郎、大野伴睦らが集まった。3年前の政権交代で野党になった自民党は、党人派が主導権を握るべきであった。それが庶民政党に脱皮する近道であるからだ。谷垣が財務官僚の口真似しかできないのであれば、総裁の座を譲るべきだろう。人の良さをかなぐり捨てて、野党党首として、谷垣が闘志をむき出しにし、拳を振り上げなければ、政権の奪還などは夢のまた夢なのである。


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柳田民俗学の「常民」の流れを汲むのがネット言論だ!

2012年07月06日 | 思想家

 日本がいかに混乱しようとも、それを阻止するのが「常民」の力ではないかと思う。「常民」というのは、あくまでも柳田民俗学の概念ではあるが、それはインテリではなく、もっと土俗的な世界の住人を指す。家永三郎との対談のなかで、柳田国男が語った言葉が、それを端的に示している。「私共が田舎を歩いておってしょっちゅうぶつかるのは、目に一丁字なくして、事理の明確に言える、人に誤ったことがあると承知せぬ、極めて判断力に富んだ、それでいて表現の力がない、そんな人間がたくさんいるのですよ」。「目に一丁字なく」というのは、無学で無知あることを意味する。それでいながら、道理をわきまえている人が、かつての日本にはたくさんいたのだ。そして、今の日本が保たれているのも、「常民」の流れを汲む人たちがおり、ネット言論の主流を占めているからではないか。平成の世のインテリが何をしたかについて、考えてみればいい。インテリはいつの世も、海の向こうの知識をひけらかして、それで民衆を啓蒙しようとするのが常であるが、政治改革や構造改革も、欧米から持ち込んだスローガンであった。それに引きずりまわされたために、日本はこんなことになってしまったのだ。名も無き民が声を上げなければ、国は再生しないのである。そのことの大切さを教えてくれたのが、民俗学者の柳田であった。常識を持った人たちの判断力を、もう一度再評価すべきだろう。


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