新自由主義によって日本人は幸福を手にしたのだろうか。デビット・ハーベェィの『新自由主義の』監訳を担当した渡辺治が、「日本の新自由主義―『新自由主義』に寄せて」という一文を書いており、ハーベェィの考えを日本にあてはめた場合に、どのように解釈できるかを論じている。新自由主義が日本で初めて本格的に遂行されたのは、橋本内閣においてだ。医療制度改革を実施したり、消費税を5%にしたり、大店法の廃止に踏み切った。しかし、緊縮財政のなかで、金融破綻が起き、退陣を余儀なくされた。その後の小渕・森内閣では、改革のスピードを緩めようとした。ただ、そこでも新自由主義が否定されたわけではなく、小泉内閣において頂点に達したのである。銀行の不良債権処理が強行されたたことで、大企業などは救済されたが、その一方でワーキングプアが生まれ、格差社会に突入した。政権交代によって登場した民主党内閣も、新自由主義の流れには抗せなかった。日本のサヨクは、「自我の確立」とかの近代主義の親和性から、かえってそれを後押ししたのだった。今それに対抗できるのは、90年代半ばから台頭してきた新保守主義だけである。ハーベィが述べているように、新自由主義が開放した個人的利益のカオスに対して、秩序を強調・導入することは、安定した社会を維持するにあたっての、最低条件であるからだ。中野剛志らの若手が次々と保守派に参じるのも、新自由主義がもたらした混乱を食い止めたいからだろう。日本の若手学者はまだまだ捨てたものではないのである。
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