草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

新自由主義に与した政治潮流とそれを支えたサヨク!

2012年07月23日 | 思想家

 新自由主義によって日本人は幸福を手にしたのだろうか。デビット・ハーベェィの『新自由主義の』監訳を担当した渡辺治が、「日本の新自由主義―『新自由主義』に寄せて」という一文を書いており、ハーベェィの考えを日本にあてはめた場合に、どのように解釈できるかを論じている。新自由主義が日本で初めて本格的に遂行されたのは、橋本内閣においてだ。医療制度改革を実施したり、消費税を5%にしたり、大店法の廃止に踏み切った。しかし、緊縮財政のなかで、金融破綻が起き、退陣を余儀なくされた。その後の小渕・森内閣では、改革のスピードを緩めようとした。ただ、そこでも新自由主義が否定されたわけではなく、小泉内閣において頂点に達したのである。銀行の不良債権処理が強行されたたことで、大企業などは救済されたが、その一方でワーキングプアが生まれ、格差社会に突入した。政権交代によって登場した民主党内閣も、新自由主義の流れには抗せなかった。日本のサヨクは、「自我の確立」とかの近代主義の親和性から、かえってそれを後押ししたのだった。今それに対抗できるのは、90年代半ばから台頭してきた新保守主義だけである。ハーベィが述べているように、新自由主義が開放した個人的利益のカオスに対して、秩序を強調・導入することは、安定した社会を維持するにあたっての、最低条件であるからだ。中野剛志らの若手が次々と保守派に参じるのも、新自由主義がもたらした混乱を食い止めたいからだろう。日本の若手学者はまだまだ捨てたものではないのである。


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原発再稼働よりも主権国家としての日本の再生が先だ!

2012年07月23日 | 安全保障

 いかに脱原発デモが盛り上がりを見せても、それが今後の日本の政治を変える力にはならないだろう。自分たちが応援して誕生させた民主党政権が退場すれば、次に登場するのは保守派政権であることは確実だ。その露払いをするために汗をかくというのは、日の丸を手に参加している一部の保守派を除けば、まさしく徒労でしかない。福島第一原子力発電所の事故で暴露されたのは、日本人の危機管理能力のなさではないか。核攻撃を受けた場合や、原発事故のシュミレーションが行われていれば、もっと対応が違っていたはずだ。とくに残念でならないのは、事故を小さく見せようとした民主党政権のせいで、避難が円滑に行われなかったことである。スピーディの情報を周知徹底させていれば、最小限の被曝ですんだはずだ。私が脱原発を主張するのは、反近代を持論にしていることもあるが、それ以上に、今日本にある原発がテロリストの標的になりやすいからだ。ろくな警備も行われておらず、冷却をできなくしてしまえば、今回と同じような大惨事になる。悲しいかな日本は、大東亜戦争に敗北したために、原子力を利用する研究については、欧米に比べて大幅に立ち遅れた。商業用の原子力発電が始まったのは1966年であり、それはアメリカの9年後であった。それも自前の開発ではなく、最初から欧米依存であったのだ。エネルギーと安全保障の面で、アメリカに頼ってきたツケが今回ってきたのだと思う。それは原発をどうするか以前の、もっと深刻で大きな問題なのである。


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