政治家を悪しざまに罵るのは、私自身も気分がいいものではない。しかし、ここで黙ってしまえば、今のままなわけだから、誰かが吼えるしかないのである。民主党や自民党の若手の政治家は、見た目はまともだし、それなりに英語も話せる国際通である。ただ、足りないのは、ドストエフスキー流に言うなら「猫の活力」であり、猫の繁殖力と言った方がよいだろう。創意作力が枯渇しない理由を、ドストエフスキーは、そんな面白い言い方で表現した。飽くことがないエネルギーがなければ、何事も成就しないからだ。私がその言葉を知ったのは、田中忠雄の『活路をひらく』を読んだからで、つい最近のことである。田中も読者に理解してもらうには骨が折れると思ったのか、「あまり高尚なものではない。ときには、ひどく利己的なものであり、ときには暴力的なものですらあるだろう。私はこれを一種の『アク』と解釈している。野生の草などには、このアクが強い。だから、一度ゆでて、アクを抜かないと食べるわけにはいかない。人間も生きているかぎり、アクを含んでいる。それが全部抜けてしまったらどうしても彼岸の天界に去らねばならなくなるのである」と書いている。政党を問わず、若い政治家の大半はアクが乏しい。それでは難局は乗り切れない。場合によっては、悪魔とも手を結ぶ必要がある。綺麗ごとではすまないのだ。マスコミに媚びるようでは、まるっきり小物である。日本の政治がここまで酷いと、「猫の活力」にあふれた政治家が、いるかいないかで、日本の命運が決まるような気がしてならない。
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