会津に住んでいる私が、今声を大にして訴えたいのは、故郷を離れた会津出身者に、一肌も、二肌も脱いで欲しいということだ。ともすれば会津人は、身内に厳しいところがある。それで嫌がられてしまうのだ。南会津生まれの梁取三義も「俗に仲間ぼめ、身びいき、自慢話を得意としない共通点をもっているのは確かだ。大体会津の教育は内に厳しく外に緩やかであった。それが会津の教育の方針でもあったが、藩内各地の農家でもやはりそうした教育が普及していた」(『会津鶴ヶ城』)と書いている。また、司馬遼太郎が会津人を「同僚や知人の批評をするのに、骨を刺すような冷たい言葉を浴びせる、思わずひやりとすることがある」と語ったのは、あまりにも有名だ。それだけに、二度と戻りたくないし、関係したくいない気持ちもよくわかる。社会的な立場を手にしても、郷党の者たちから評価されるのは、ほんの一握りである。自虐的なイロニーと呼ばれる会津人気質は、自己主張することを卑しんだ精神風土から生まれたという。口舌の徒を嫌うのも、そのせいではなかろうか。しかし、たとえそうであっても、会津を含めた福島県は悲惨な状況にあり、このままでは福島県が消滅しかねない。原発事故の影響はじわじわと出てきており、観光地も閑古鳥が鳴いている。会津にゆかりのある人たちの協力を得ることができれば、もう一度福島県は再生できると思う。頼りになるのは、深い郷土愛で結ばれた身内の力なのだから。
←会津っぽに応援のクリックをお願いします