この歳になって閉塞感という言葉を用いるのはおこがましいが、あの疾風怒涛の時代に、守るべき価値を示してくれたのは、三島由紀夫だけではなかったかという思いがしてならない。全共闘世代の多くは、去る16日に行われた代々木公園での反原発集会に引き寄せられたのではないか。今なお日本共産党が政治的カンパニアに利用し、あらかじめ準備した「赤旗」号外版を配布するのを見て、昔のことを思い出したに違いない。街頭闘争で死んだ者がいても、内ゲバで殺し合いをしても、今になれば、それもまた懐かしい思い出なのだろう。全共闘の末端にありながら、私がそれに引きずられることがなかったのは、行動者としての三島への畏敬の念があったためだ。三島は全共闘の本質を見抜いていた。だからこそ、高橋和己に向かって「僕は、学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きていると思っているけれどもね。つまり、反権力的な言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ。簡単なことだよ」(高橋和己著『人間にとって』)と語ったのだろう。しかも、三島はそこにとどまりはしなかった。全共闘のように白旗を掲げて降伏するのではなく、三島が自ら刃に伏したことで、日本的情念のパトスが、平成の世にも語り継がれることになったのだ。「言葉を刻むように行為を刻むべきだよ。彼らは言葉を信じないから行為を刻めないじゃないか。もっともそれを彼らに要求するのは無理かもしれない」と高笑いをする三島にかかっては、全共闘も形無しなのである。
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