草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

全共闘世代と三島由紀夫の日本的情念のパトス!

2012年07月21日 | 思想家

 この歳になって閉塞感という言葉を用いるのはおこがましいが、あの疾風怒涛の時代に、守るべき価値を示してくれたのは、三島由紀夫だけではなかったかという思いがしてならない。全共闘世代の多くは、去る16日に行われた代々木公園での反原発集会に引き寄せられたのではないか。今なお日本共産党が政治的カンパニアに利用し、あらかじめ準備した「赤旗」号外版を配布するのを見て、昔のことを思い出したに違いない。街頭闘争で死んだ者がいても、内ゲバで殺し合いをしても、今になれば、それもまた懐かしい思い出なのだろう。全共闘の末端にありながら、私がそれに引きずられることがなかったのは、行動者としての三島への畏敬の念があったためだ。三島は全共闘の本質を見抜いていた。だからこそ、高橋和己に向かって「僕は、学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きていると思っているけれどもね。つまり、反権力的な言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ。簡単なことだよ」(高橋和己著『人間にとって』)と語ったのだろう。しかも、三島はそこにとどまりはしなかった。全共闘のように白旗を掲げて降伏するのではなく、三島が自ら刃に伏したことで、日本的情念のパトスが、平成の世にも語り継がれることになったのだ。「言葉を刻むように行為を刻むべきだよ。彼らは言葉を信じないから行為を刻めないじゃないか。もっともそれを彼らに要求するのは無理かもしれない」と高笑いをする三島にかかっては、全共闘も形無しなのである。


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鳩山のデモ参加やスローガンだけのエネルギー政策を嗤う!

2012年07月21日 | 政局

 与党の元総理大臣経験者が反原発のデモに参加し、官邸に乗り込んで行って藤村修官房長官と直談判する。正気の沙汰とは思われない。それが鳩山由紀夫のやることなのである。だったらば、さっさと民主党を離れるべきだろう。ピントがずれているにもほどがある。今の日本の政治は無政府状態であり、迷走に迷走を重ねている。その一番の理由は、統治能力なき政党に政権を委ねてしまったことだ。それはエネルギー政策についてもあてはまる。福島第一原発事故で瀕死の状態にある福島県。浜通りばかりでなく、会津地方でもメガソーラーの計画が持ちあがってきているが、そのインセンティブとなったのは、再生可能エネルギーの買い取り価格が設定されたためだ。しかし、国がエネルギーについての将来ビジョンを固めなければ、絵に描いた餅になるだろう。まず問題なのは、高く買った分については、消費者に負担を転嫁するという安易な考え方だ。さらに、国が新潟沖などの石油資源の開発を一大プロジェクトにする意向でおり、どこに力点の置くのか腰が定まっていない。鳩山がアジテーターとなって声を上げてみたり、スローガンだけ独り歩きしてしまっている「再生可能エネルギーへの転換」では、何の解決策にもならない。何よりも先にすべきは、解散・総選挙によって国民に信を問うことであり、政治的混乱に終止符を打つことだ。ダッチロール状態の政権に期待する方が間違いなのである。


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