今は亡き松本健一が一水会の鈴木邦男氏を揶揄する意味で「マスコミ右翼」と言っていた。その流れをくむ木村三浩氏が鳩山由紀夫元首相と一緒にクリミア入りし、ロシアへの編入を認めるような言動をしている。鈴木邦男氏の『続夕刻のコペルニクス』と木村三浩氏の『新パトリオティズムの展開憂国岱論』を読んでみても、彼らの意図がまったく分からない。鈴木氏は元赤軍派議長塩見孝也、革命浪人太田竜、ブンド戦旗派の荒岱介らとの交際を自慢しているだけである。塩見、太田、荒は一時は極左のスターであったわけで、それと新右翼を名乗る鈴木氏が衝突することは、それなりの意味があるだろうが、なれ合いでは話にならない。とくに、太田の辺境への退却と、荒のマルクスからジョン・スチュアート・ミルへの転向を評価するものとしては、思想的なレベルでの議論があってもよいと思う。木村氏は何にも新しいことを主張しているわけではない。ヤルタ・ポツダム体制を打破するためには、反米の旗を掲げるべきだと信じているのだろう。アジアの視点の導入に異論を挟むつもりはないが、中共や朝鮮半島での革命の動きと連携する視点が欠落しているのが残念である。新民族派に先頭に立ったこともある彼らは、行動する保守と真摯に向き合い、そこで合意形成をする努力をすべきだったのではないか。排外主義とかヘイトとか批判しないで、国の政治に影響を与えるようなエネルギーの爆発を、自分たちのところに呼び込めなかったのを反省すべきだろう。極端なヘイトは許されないとしても、マスコミを相手にせずどんどん突っ走っていく者たちは、確実に日本を変えつつある。鈴木氏、木村氏を支持する保守民族派もいるわけで、違いは違いとしても建設的な議論をすべきではないだろうか。お花畑のサヨクとなれ合っている時ではないのである。
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