第二次世界大戦の敗戦国であった日本とドイツの政治指導者が会談した。昨日は安倍首相とメルケル首相との間で何を話すかに注目が集まった。戦争責任への言及で、ドイツの方が立派だとの議論もあり、その辺があったからだろう。しかし、先の戦争のこととなると、ドイツと日本はまったく事情が異なる。ヒットラーのナチスには、確固とした展望があった。日本はわけもわからないままに戦争にひきずりこまれてしまったのであり、丸山真男も認めているところだ。丸山は『現代政治の思想と行動』で「例えばナチス・ドイツがともかく『我が闘争』や『二十世紀の神話』の如き世界観体系を持っていたのに比べて、この点は確かに著しい対照をなしている」と書いている。それでも、丸山は日本を悪者にしようと、超国家主義としての日本のイデオロギーを問題にしたのである。そもそもが存在しないにもかかわらず、それをでっち上げなければ気が済まなかったのは、観念論者としての丸山の限界があったからだろう。それと比べると、会田雄次は理屈よりも、臨床学的な日本人の行動を論じた。「はてしない我慢忍耐と突然の逆上をくりかえすだけ」(『たどり来し道』)と分析した。丸山の主張した戦後民主主義は日本人に自虐史観を植え付けた。それは「はてしない我慢忍耐」でしかなく、いつかは爆発するものであった。いつの世も空気が支配しており、それに逆らえない風潮が日本を駄目にしたのではないか。極端から極端に走る日本人の行動を問わずして、戦争責任など究明できないのである。イザヤ・ヘベンダサンではないか。空気に水を差す勇気がある人間が、日本人にどれだけいるかなのである。
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