天皇陛下が国民から敬愛されてきたのは、自らを無として国民のことを考えてこられたからである。個人的なパーソナルなことが取り上げられるようになったのは、戦後になって「週刊誌天皇」と評されるようになってからだ。小泉信三が占領軍に妥協した産物だともいわれる。市井の者と変わらなくなってしまったのだ▼そもそも天皇陛下が神だったのではなく、神に近い存在であられるのである。昭和天皇の「ゆたかなるものなりつづけと田人らも神にいのらむ年をむかへて」との歌にあるように、天皇陛下イコール神であったわけではない。神と民草との仲立ちをなされており、だからこそ「現人神」と呼ばれたのである▼昭和天皇の終戦のご聖断にしても、個人的な感想をお述べになられたのではない。日本人の先祖の神々に日々祈りを捧げられている立場から、何を成すべきかを知っておられたのである。「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」「くにがらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり」。前の歌は民草を守るために御身をお捨てになられる覚悟であり、後の歌はあるうべき天皇として、国がらを死守することをご使命とお考えになられたからだろう▼天皇陛下のお心持をお察しするのは畏れ多いが、日本国民の多くが望んでいることは『昭和史の天皇・日本』に収録された、葦津珍彦の「陛下と大東亜戦争」の言葉に尽きる。皇室をないがしろにする勢力に付け込まれないためにも、天皇陛下として「祖宗の伝統を守り、民族の生命を守る重責」に耐えていただくしかないのである。
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