今さら騒いでも仕方がないが、日本人がお花畑であったがために、日本は危機に瀕しているのである。未だに自衛隊は国軍となっておらず、交戦権を否定した憲法9条第二項はそのままである。身体ごとぶつかった三島由紀夫を、狂人扱いにしたのは誰だったろうか。北朝鮮が核弾道ミサイルを東京に向けて発射すれば、死者はとんでもない数に達するだろう。北朝鮮が初めての核実験を行ったのは、平成18年10月のことであった。それから現在まで日本人は何の手も打ってこなかったのである▼忘れもしない、昭和47年に市ヶ谷の私学会館で武藤光朗の講演を聞いたことがある。武藤は「運命の氾濫」を制御する牆壁の必要性を訴えていた。それはマキアヴェリの『君主論』に出てくる言葉であり、武藤は『限界状況としての日本』のなかで紹介している。「諸種の防備を施し、堤防を築き、もって再び氾濫があるとも河川は運河によって導かれ、その暴力を放恣危険に至らしめないようにする。運命についても亦これと同じく、防御力薄弱なところにその暴力をあらわし、牆壁も防御力もないところにその暴力をむける」▼「運命の氾濫」を制御するには、武藤が述べていたように、日本人が内なる祖国を再建しなくてはならないのである。マスコミの情報に踊らされることなく、一日も早く正気を取り戻すためにも。
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限界状況としての日本 (1975年) |
創文社 |