文科省の役人の汚職が目に余る。息子を裏口入学させるとか、接待を受けるとか、根性がどうかしている。日教組と変わらない前川喜平のような人間が事務次官にまでなるのだから、もはや解体的な出直しかないだろう▼小室直樹は『日本人のための宗教言論』で、日本に遺された儒教の負の遺産としての官僚制度を問題にした。小室は儒教のキーワードは「官僚制度」と指摘する。6世紀末に巨大帝国隋が誕生したときから、推薦によって選んでいた官僚が、ペーパーテストで選ばれるようになった。「科目による選挙」ということで「科挙」である。「科挙」がより厳格になったのは、15世紀初頭の明の永楽帝が国定教科書『四書大全』『五経大全』をつくったからである。学ぶべきテキストが決まり、官僚になるために必死に勉強するようになった▼中国では「科挙」をチェックするために「宦官」という制度があった。去勢された存在でありながらも、皇帝の側用人として権力につながるヒーラルヒーを形成していた。カウンターバランスが整っていたのだ。日本では「宦官」のような組織はなかった。明治以降の官僚制の導入によって、試験万能の世の中が到来したのである。アメリカは大統領が変われば高級官僚は全部入れ替わる。しかし、日本では官僚信仰が根付いてしまった。受験エリートがのさばった結果が今の日本なのである。政治が力を持つようにするには、アメリカのようにするしかないのである。
応援のクリックをお願いいたします