昭和天皇が「人間宣言」をされたのは、昭和21年正月元旦のことであった。これもまた憲法と同じように、米国に押し付けられたことを忘れてはならない▼昭和天皇は「五箇条の御誓文」から説き起こされ、「朕(ちん)は茲(ここ)に、誓を新たにして、国運を開かんとす。須(すべか)らく此の御趣旨に則り、旧来の陋習(ろうしゅう)を去り、民意を暢達(ちょうたつ)し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て国民の向上を図り、新日本を建設すべし」との思いを語られてから、「人間宣言」と評されることになった一文を御述べになられたのである▼「朕と爾等(なんじら)国民との紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ、単なる神話と伝説に依りて生ぜるものに非ず、天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越する民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず」▼我が民族の建国の歴史について、他国が口出しすべきではなく、日本人が一度として、世界を支配する野望を抱いたことなどなく、大東亜戦争に突入したのは、追い詰められた末の苦渋の決断であった。連合国総司令部の民間情報局に勤務していた米国陸軍のハロルド・G・ヘンダーソン中佐が原案を書いたことは明らかで、それに前田多聞文部大臣、弊原喜重郎首相が苦心惨憺して手を加えたのだ。占領下にあった日本は、それに異議を差しはさむことなど許されなかったのである。
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