草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「ヘイト」を口実にして言論の自由を奪ってはならない!

2019年03月25日 | 世相

極端な排外主義的な言葉は問題があるとしても、それをきっかけにして、人権の名のもとに日本人の言論が委縮してしまってよいのだろうか。議会政治による民主主義は、あくまでも相対的なものでしかなく、絶えず討論を通じて、意見の集約が図られなければならない。そのための前提条件が言論の自由なのである▼日本年金機構世田谷年金事務所長のツィートが酷いというので、本人は左遷されたというのが話題になっている。「ヘイトスピーチ」といわれているが、どの言葉がヘイトにあたるかの議論を抜きにして、一方的に断罪するのは異常である▼「反日教育」を取り上げて韓国人を批判することも許されないのでは、それは特定国家を利するための、言論統制になってしまいかねない。三島由紀夫は言論の自由の大切について、独自の考え方を持っていた。「言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また、微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はないというのが言論自由というもののどうしょうもない性質だと考えています」(『文化防衛論』)▼韓国の人たちは、日本人に向かって何を言っていいのに、日本人が反撃できないのでは、あまりにも理不尽である。そんな異常な状態が続いているからこそ、韓国の裁判所が不当な判決を次々と下すのである。日本での言論の自由は守られるべきであり、私たちは臆することなく、物を言うべきなのである。

にほんブログ村 政治ブログへ

にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ「草莽隊日記」の思想家編というのは読書日記!

2019年03月25日 | 思想家

毎日書いていても、ネタを探すのは大変なので、読書日記のような文章になる場合が多い。読む方にとってはあまり面白くないと思うが、書く方にとっては、それがカード式にたまることで、ちょっとした本を出すために役立つことになる▼左右を問わないことから、読者からは評判がよくないが、あくまでも私自身のやり方なので、勘弁してもらうしかない。ここ2、3年よく取り上げるのがハンナ・アレントであり、カール・シュミットである。あくまでも翻訳に頼るしかないが、この二人の著作を通じて、政治というものが、薄ボンヤリとながらもわかってきたような気がする▼二人の言っていることはまったく逆である。アレントは他者への寛容を説いているのにたいして、シュミットは、敵味方の区別にこだわる。共通しているのは、現象面だけで、政治を語らないということだ。原理原則を究明する思想家の立場から、論じているのである▼今の日本のジャーナリズムは、枝葉末節なことを話題の中心にしている。スポーツの競技と同じで、どっちが勝つ負けるかが中心なのである。どれだけ情報通であるかを、したり顔に語るのが常で、じっくり考えて語るのではないのである。その点は右も左も共通している。アレントやシュミットのテキストを読み込むというのは、人類が生み出した知の伝統に立脚することであり、それなくしては、喧騒な時代を理解することは困難であるからだ▼それだけに生涯勉強の私に付き合ってもらうことは、ブログを書いている身としては、感謝感激なのである。

にほんブログ村 政治ブログへ

にほんブログ村

応援のクリックをお願いいたします


政治ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする