極端な排外主義的な言葉は問題があるとしても、それをきっかけにして、人権の名のもとに日本人の言論が委縮してしまってよいのだろうか。議会政治による民主主義は、あくまでも相対的なものでしかなく、絶えず討論を通じて、意見の集約が図られなければならない。そのための前提条件が言論の自由なのである▼日本年金機構世田谷年金事務所長のツィートが酷いというので、本人は左遷されたというのが話題になっている。「ヘイトスピーチ」といわれているが、どの言葉がヘイトにあたるかの議論を抜きにして、一方的に断罪するのは異常である▼「反日教育」を取り上げて韓国人を批判することも許されないのでは、それは特定国家を利するための、言論統制になってしまいかねない。三島由紀夫は言論の自由の大切について、独自の考え方を持っていた。「言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また、微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はないというのが言論自由というもののどうしょうもない性質だと考えています」(『文化防衛論』)▼韓国の人たちは、日本人に向かって何を言っていいのに、日本人が反撃できないのでは、あまりにも理不尽である。そんな異常な状態が続いているからこそ、韓国の裁判所が不当な判決を次々と下すのである。日本での言論の自由は守られるべきであり、私たちは臆することなく、物を言うべきなのである。
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