日本においては憲法が不磨の大典となっている。大日本帝国憲法ですら、一度も改正されたことがないのである。一度明文化されると、絶対視してしまうのが日本人なのである。日本国憲法の第一条が象徴天皇であるにもかかわらず、天皇制廃止を主張する者たちが、憲法擁護を叫んでいるのだから、どうかしている▼我田引水で憲法を解釈して、それで満足してきたわけだから、まともな議論などできるわけがないのである。お目出たい進歩派の学者は、現憲法になって、ようやく国民主権になったとの立場を取っているが、それも間違いである。大日本帝国憲法でも、第四条において、天皇の統治権について「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれているからだ。大日本帝国憲法の起草にあたった伊藤博文は、産業革命以後のヨーロッパを視察し、それを参考にしたのである。国民が主役の時代が到来したことを理解しなかったわけではない。あくまでも日本の国体に合致させようとしただけなのである▼西部邁が「不文の知恵に支えられて成文憲法がどうにかこうにか成立する」(「国体主義の重厚と硬直 伊藤博文」)と述べているように、大日本帝国憲法には悪戦苦闘した痕跡があったが、それが現憲法にないのが問題なのである。押し付けられた憲法を改正するには、「不文の知恵」を再確認するとともに、憲法を絶対視する信仰から脱却することが前提なのである。
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