右も左もわけが分らなくなっているなかで、保守とはなんぞやという議論になれば、唯一私が羅針盤としているのは、西部邁の存在である。小泉構造改革から民主党政権の誕生、そして、現在の政治の漂流は、なべてアメリカニズムに起因するという主張は、私の保守としての立場でもある。先の大戦における敗北によって、日本はアメリカによって骨抜きにされた。その最終的な仕上げが平成の改革であった。西部に言わせれば、昭和までは日本流がまだ残っていたのに、平成になって、それが解体の危機に瀕しているのである。残存していた日本流として西部が指摘しているのは「企業の経営をはじめとして家族、地域そして政党の運営にまで至る、日本的集団運営法」(「戦後日本のけじめ」)などである。野党に転落して、ようやく自民党が真摯に日本のことを考えるようになったのは、不幸中の幸いでなかったかと思う。TPPへの交渉参加をめぐって、民主党政権がアメリカニズムの旗振り役を買って出たことで、かえって自分たちの立つ位置が明確になったからだ。政権奪還にあたっては、真の保守政党に脱皮すべきだろう。このままでは「アメリカ化の完成とは保守の思想と行動の首の骨が折られることだ」(「同」)と西部が述べているように、日本の死を意味するのである。大衆迎合主義に与することなく、自民党は保守として守るべきものを明らかにすべきなのである。
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