草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小沢退治に躍起の朝日の社説を嗤う

2010年08月27日 | マスコミ評
 8月27日付の朝日の社説を読んで嗤ってしまった。民主党代表選への小沢一郎の出馬を、徹底的にこき下ろしていたからだ。「お前が言うな」と一喝したくなった。一度自民党内の権力抗争で居場所を失った小沢を復権させたのは、誰あろう朝日を始めとするサヨクジャーナリズムであったからだ。自民党の一党独裁を倒すには、政治改革が絶対条件だというので、小沢を改革派として持ち上げ、それに抵抗する勢力を守旧派と呼んで批判したのは、つい昨日のことではなかったか。さらに、昨年に民主党政権が誕生したのは、小沢の政治と金の問題を不問にしたからではなかったか。そこまで言うのならば、「政権交代は失敗だった」と認めればいいのである。サヨクは何かすると、バカの一つ覚えのように、「新しい政治」なるものを口にすれば、それだけで錦の御旗になると思っている。小沢に力を与えてしまったサヨクジャーナリズムは、その怪物を退治するのに躍起になっているが、一度媚を売った者たちが、本当に小沢と対決できるのだろうか。しかも、朝日が攻撃しているのは、あくまでも政治と金の問題だけである。マニフェストによるバラマキとか、民団寄りの政治姿勢については、まったく言及を避けている。小沢流政治の提灯持ちをしたくせに、今頃になって慌てているサヨクジャーナリズムには、その社説の見出しではないが、それこそ「あいた口がふさがらない」。

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民主党政治の終焉と保守政党自民党の責任

2010年08月26日 | 政局
 統治能力のない民主党政治は、思ったより早く終焉を迎えることになりそうだ。政治と金で幹事長を辞めた小沢一郎が代表選に立候補することが確実になった。菅直人首相が妥協して、小沢前幹事長の軍門に下ると予想していたのに、現実はそんな生易しくはなかったようだ。しかし、二人が激突するわけだから、しこりを残さないわけがない。ここで重要になってくるのは、自民党の対応である。民主党の内紛劇が、飛び火しかねないからだ。谷垣禎一自民党総裁は、まず一糸乱れぬ党の結束を図った上で、政権奪還に向けた青写真を描いておくべきだろう。そこで忘れてはいけないのは、日本の国のかたちをそこなおうとする勢力とは、断固戦うという原則は崩さないことだ。菅支持グループも、小沢支持グループも、支持者にサヨクを抱えており、中国や韓国への弱腰外交ということでは、両方とも一致している。自民党は、対米関係を重視しつつも、自主防衛力を整備し、日本の主権回復を目指すべきだろう。そして、連立政権への誘いがあっても、永住外国人の地方参政権の付与法案などを阻止するという立場は、これまで通りに堅持すべきだろう。民主党は自ら墓穴を掘ったが、自民党まで右往左往すると、取り返しがつかなくなるからだ。国民を安心なさせることができる保守政党として、自民党の果たすべき責任は大きい。

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平成の世に攘夷決行の勇気ありしや

2010年08月25日 | 思想家
 還暦を目の前にすると、やっぱり人生ということを考えてしまう。今まで生きてきたことがどうだったか、これから何ができるかということを自問自答するようになる。70年安保騒動のときは、まだ高校三年生であった。会津地方で新民族派の高校生組織を立ち上げたことが、懐かしく思い出される。三島由紀夫と森田必勝の両烈士が自刃したのも、その年であった。数名の同士とともに血判をし、勇んで後に続こうとしたが、それはかなわなかった。大学に入ってからは、ノンセクトラディカルのグループに親近感を抱いた。新左翼の諸党派とは肌合いが合わなかったが、アナーキーな黒ヘルグループに、土俗的な情念を見出そうとしたのだった。通っていた大学のプレハブの学生会館に、スプレーで昭和維新の歌が書かれていたのも、場違いだとは思わなかった。行動するものの美意識は、絶えず死と背中合わせであり、イデオロギーは違っていても、情念においては相通じるものがあった。しかし、今はそうではない。これまでであれば、新新右翼と呼ばれる人たちがそうであったように、国家たりえなかったことへの反発からの行動であったが、もはやそれは過去のこととなった。日本が滅びるかどうかの瀬戸際であるからだ。平成の世にあって、幕末のときのように、攘夷を決行することで、国を救おうとする気概があるかどうかなのである。  


少年の眼に映りたる美(う)まし国取り戻さんと雄たけび上げん


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やっぱり田舎芝居だった民主党代表選騒動

2010年08月25日 | 政局
 何度でも書くが、民主党の代表選騒動は、無為無策の政治から国民の目をそむける田舎芝居でしかない。ここにきてようやくはっきりしつつあるが、小沢一郎前幹事長は、出馬する気持ちなど、最初からなかったのである。できれば、自分の派閥で幹事長を押さえたかっただけだ。党を割る覚悟などなかったのである。菅直人首相にしても、喧嘩して損なのは知っているから、妥協点を探っていただけなのである。お互いが代表選を戦うにしても、明確な争点などあるはずもない。日本の国のかたちを守ろうとしないことにおいては、菅も小沢も同罪であり、沖縄の普天間基地移設問題でも、誠実さが見られない。喫緊の課題である円高、株安についても、二人とも傍観者を決め込んでいる。昔の自民党と同じように、これから菅と小沢の手打ち式が行われるのだろう。まったく馬鹿げたことだ。してやったりとほくそ笑んでいるのは、無能な民主党の政治家たちだろう。テレビに登場すればするほど、民主党の支持率はアップするからだ。しかし、今回のことでも化けの皮がはがれており、今は国民を騙せても、それは長くは続かないだろう。

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後悔先に立たずの民主党政権の誕生

2010年08月24日 | 政局
 やっぱりやってしまった。民主党に政権を渡すと、とんでもないことになると警告をしていたのに、予想した通りではないか。フジテレビの「とくダネ」のメインキャスターである小倉智昭とかいったタレントが、「政治はわけがわかりません」とか弁解していたが、所詮は旧大橋巨泉事務所所属の芸能人なわけだから、さもしたり顔に語っていたことを、まずはわびるべきだろう。自他共に認める毒舌家だそうだが、そうした連中が勝手なことを口ばしって、麻生太郎元首相や自民党をこきろした結果が、このざまなのである。円高が進行し、株はどんどん安くなっているにもかかわらず、国民を無視して、民主党は派閥争いに終始している。「政権交代が景気対策」とか大口をたたいて、煽りに煽った者たちは、一体どういう気持ちでいるのだろうか。そういえば、昨年の総選挙前、全国紙の編集委員に向かって「民主党に政権を渡して、本当にいいんですかね」と批判すると、その大記者は「政権交代をして駄目だったらば、また政権交代をすればいいんですから」と他人事であった。そんな調子でマスコミがこの国を変えようとしたのだから、責任は重大である。しかも、すぐにでも総選挙や政界再編が行われなければ、こんなことが三年間も続くのである。後悔先に立たずとはよくぞ言ったものだ。

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鶴ヶ城と会津人の勤皇の心

2010年08月24日 | 会津100選
 赤い廊下橋の近くから鶴ヶ城の天守閣を撮影した2、3年前の写真で、橋の下はお堀になっており、蔦の葉がからまり、往時のままの姿をとどめているが、石垣に苔がはえたさまは、栄華が永く続かないことを教えてくれる。天守閣は昭和40年に復元されたコンクリートづくり。それだけに、木の枝にさえぎられて、その姿を現さないほうが、かえって想像力がかきたてられていい。南口の三の丸跡には、新城杏所の句碑がある。 

鶴ヶ城址 夏草刈りて 明るかり 

 秩父宮殿下と松平節子姫の結婚を祝しての句である。いかに逆賊の汚名を着せられようとも、昭和4年当時の会津人は、勤皇の心を失わずにいた。だからこそ、鶴ヶ城を始めとする会津戦争で、おびただしい屍をさらした者たちに、鎮魂の句を手向けたのである。生者よりも、死者を意識しており、会津人の喜びがひとしおであることを、純粋な気持ちで句にしたのだった。

 
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民主党不況で失業者があふれるのは必至

2010年08月24日 | 政局
 民主党不況が目前に迫っているのに、テレビは怠慢そのものである。民放各局の情報番組では、チャラチャラした芸能人か、さもなければ、ろくに本も出していないようなコメンテーターが、わけのわからないことを喚いているだけだ。民放だからというので、それなりに納得するしかないが、視聴料を聴取しているNHKはNHKで、民主党政権の大本営発表をたれ流している。まともな意見が散見されるのは、せいぜいネット上のブログや「2ちゃんねる」ではなかろうか。目下、円高と株安が急速に進行しているのに、テレビはまったく触れずじまいで、民主党代表選のことばかりを、のべつ伝えている。菅直人首相は、日本銀行の白川方正総裁と電話会談をしたというが、強いメッセージが発せられたわけでなく、かえってマイナスに働いたようだ。民主党政権が経済政策で無為無策であることが大問題なのである。このままでは、日本の企業の多くが海外にシフトすることは確実だ。そうなれば失業者はあふれ、社会不安も増すことになるだろう。成長戦略の原動力となる科学技術予算も削られっぱなしだ。それでいて、親方日の丸の公務員には、甘い顔ばかりしている。民主党政権が続いている限り、これから日本は、否応なくどん底を経験することになるはずだ。その危機について、テレビが触れようとしないのは、あまりにも異常ではなかろうか。

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戦意なき菅首相では小沢に屈するのが見え見え

2010年08月23日 | 政局
 やっぱり菅直人首相は、信念がない駄目な政治家の見本のようだ。自分を引きずる下ろそうとしている小沢一郎前幹事長に向かって、身を摺り寄せるような動きをしているからだ。「小沢幹事長がいたから政権交代ができた」とまで持ち上げたわけだから、優遇する腹づもりがあるのだろう。そうでなければ、そんなことを口にするはずもない。そこまで言うのであれば、反小沢派の急先鋒の岡田克也外務大臣や蓮舫行政刷新大臣らの発言は、一体何だったのだろう。「刑事被告人になるかもしれない人が、民主党代表選に立候補するのはいかがなものか」と批判したとしても、菅首相が腰抜けでは、話にならないからだ。菅首相が優柔不断であっては、闇将軍としての小沢一郎の力をそぐことはできない。民主党内の反小沢派は、自分たちの主張に責任を持つ意味でも、小沢幹事長を国会で証人喚問をすることについて、野党の自民党や共産党に賛同して、その実現に協力すべきだろう。民主党のイメージがそこなわれるからと反対するのであれば、反小沢派は、民主党内の権力闘争に、政治と金の問題を利用しただけだということになる。

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天に架かる磐梯山と猪苗代湖

2010年08月23日 | 会津100選
  昨年の夏、会津若松市湊町中田浜の小高い山から北に聳える磐梯山を撮影したもの。猪苗代湖の青と空の青とが重なって、そこに山のシルエットが稜線として浮かび上がる。年間を通じて会津はどんりよりとした日が多いが、スッキリと晴れ上がった日には、天に架かる梯としての伝説を彷彿とさせてくれる。日本浪漫派の保田與重郎によると、神代にあっては、神と人とが自由に行き来したとか。それはかなわぬ夢でしかないが、一点の曇りもない青空と、満々とした湖の青を目の前にすると、その夢が嘘ではないような気がしてくるから不思議である。
   

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高齢者の不明者続出と先祖信仰

2010年08月23日 | 思想家
 100歳を超える高齢者の所在確認ができないというので、連日、マスコミが大騒ぎをしているが、先祖を祀らなくなってしまったことが背景にあるのではなか。一番大事なことが語られていないのは残念だ。柳田国男が『先祖の話』を書き上げたのは、昭和20年の終戦を前にしてのことであった。「国のために死んだ者たちを、仏教で言う無縁仏にしてはいけない」との思いから、あえて筆を執ったといわれる。日本人に受け継がれてきた先祖信仰の意義を、世に問おうとしたのです。しかし、戦後の押し付けの民主化によって、日本人の心はすさんでしまった。戦死者を祀ってきた晴れの祭場としての靖国神社が国の管理から離れ、菅直人内閣においては、終戦の日の8月15日、靖国神社を参拝した閣僚は皆無であった。国のレベルがそうであるならば、個人レベルで同じことが起きても、一体誰が批判できるだろうか。終戦後のどさくさにも、日本人の多くは位牌を肩身離さずに持ち歩いた。先祖信仰が、まだその時期までは息づいていたのである。柳田国男ではないが、死者として弔われることなく、家々を覗いて歩くだけの霊がこの国に満ちあふれれば、それはあまりにも悲しすぎないだろうか。今こそ取り戻すべきは、日本人の信仰心なのである。

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