草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小西洋之議員のお花畑では平和と安全は維持できない!

2015年03月21日 | 安全保障

昨日の参議院予算委員会の質疑を聞いていてガッカリしたのは、東大出の優等生の議論があまりにも稚拙であったことだ。民主党の小西洋之議員は、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議で決定したことを口汚く罵った。「クーデター」とまで言うのだから、自らの無能さを暴露したようなものである。そもそもクーデターの定義は、体制を構成している勢力が、国家権力を掌握するために、非合法的に武力を行使することではないか。権力を手にしている安倍首相が、今さら自衛隊を用いる必要などないのであり、単なる誹謗中傷のレベルでしかない。小西議員が謝罪する羽目になったのは当然だ。小西議員は東大を出てキャリアになった自惚れからか、人を見下した発言が目立つ。暗記教育のせいで自分の頭で考えられないのだろう。学校の試験で良い成績をとることしか考えない人間は、ついついそうなってしまうのである。杓子定規そのものではないか。日本の置かれている国際環境は、憲法9条を放置しておけるほど平和ではない。いつ戦争になるか分からない危機が目の前に存在するのである。すぐに改憲ができない今の状況では、政治は責任をもって対応しなければならない。できることを模索し、国民に理解してもらう努力こそが大事なのだ。お花畑というイデオロギーよりも、現実が優先されなくてはならない。平和を希求するにしても、お題目を唱えているのではなく、危機を回避し未然に防ぐ手立てを講じるべきで、安倍内閣を勇気をもってそれに取り組んでいるのだ。なぜ理解できないのだろう。

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安倍総理の米国上下両院合同会議での演説に期待!

2015年03月20日 | 国際問題

日本が掲げるのが「道義国家」の実現であり、そのためには応分の負担をする用意があることを、安倍総理はアメリカ国民に直接訴えるべきだろう。軍事力によって他国を恫喝したり、国内において自由と民主主義に反するような言論弾圧を正当化するものではない。同盟国であるアメリカと日本は、根本的な原理原則で一致するはずだ。4月下旬から訪米する安倍首相が、米国の上下両院合同会議で演説することが本決まりとなった。時事通信社が今朝配信したもので、戦後70年目の節目にあたることもあり、世界中から注目を集めるとみられる。日本の総理大臣が誰であろうとも、そのような機会があれば、利用しない手はないのである。とくに安倍総理については、米国内の一部に「国家主義者」と決め付ける意見がある。それを払しょくすることは、日本にとってもメリットがある。自らが日頃口にしている「戦後レジームからの脱却」が、米国にとっても日本にとってもプラスになることも説明すべきだろう。先の敗戦によって日本は、丸抱えで米国の影響下に置かれた。しかし、米国とて万能ではない。失敗をすることもある。時には苦言を呈する同盟国として、日本は普通の国家にならなくてはならない。そこで求められるのは「道義国家」の観点である。国益ばかりにこだわるのではなく、世界が目指すべき価値について、日本は情報を発信すべきだろう。安倍総理は千載一遇のチャンスを与えられたわけだから、ここは頑張ってもらわなくては。

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「反體制」のプロパガンダから抜け出せない新聞は害毒を流すだけだ!

2015年03月19日 | マスコミ評

まともな報道を新聞ができないのは、福田恆存に言わせると単純なことなのである。「明治以来今日にいたるまで國内的には反體制、對外的には對外強硬論を一貫してとり續けてきました。この二つのものは裏腹で、政府がいつも外國に對して軟弱外交路線をとるものだからこれを責めて反體制になる、といふ圖式なのです」(『言論の自由といふ事』)。テレビも新聞の系列下にあり、その影響下に置かれている。根本には権力を批判しなくてはならないという強迫観念があるからで、そこから全てが導き出されるのである。大東亜戦争を煽ったのも簡単に説明がつく。政府が優柔不断だから尻を叩いた結果、戦争に突入してしまったわけで責任は重大なのである。沖縄の米軍普天間基地の辺野古移設に反対する運動に対して、沖縄の二紙をはじめ、朝日、毎日、東京はいつもながらの論調で、不当逮捕だとか騒いでいたが、それだって反米を煽ることで権力を批判しているのだ。共産主義国家に宥和的であったのは「新聞にも一般知識人にも共産主義に對する幻想とひけめがあるからだ」という福田の指摘も、まさしくその通りではないかと思う。未だに新聞は自分たちのスタンスを改めようとしない。最初から色眼鏡で見た論説を、読者は期待などしていないのである。週刊誌で「正義の味方」の嘘が暴露され、ネットが普及して報道された以外の事実が公表されることになり、新聞への不信感は高まってきている。ここにきて新聞は重大な岐路に立たされているのである。できるだけ事実を伝えることに徹し、判断は読者に委ねるべきだろう。世の中をリードし、思いのままに操られる時代は終わった。その思い上がりを改めなければ、読者はどんどん離れていくだけなのである。

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翼に輝く日の丸の国産戦闘機がいよいよ防衛の第一線に!

2015年03月18日 | 安全保障

日本の安全保障上の潜在的なポテンシャルは技術力にある。核兵器は装備していないとしても、その技術力が他国の日本への侵略を思いとどまらせるのである。政府は航空自衛隊のステレス戦闘機「F3」(仮称)を開発する方針を固めたという。エンジンの開発に成功したことが後押しになった。日本がアメリカ軍の中古戦闘機を高い金で買わされてきたのは、ある意味では屈辱であった。国産戦闘機が翼に輝く日の丸で日本防衛にあたれば、自衛隊の士気の高揚にも結び付くはずだ。アメリカは徐々に孤立主義の傾向を強めている。その一方で中共が軍拡にまい進し、武器の輸出国としても上位に躍り出ている。軍拡競争に巨額を投じるのは愚の骨頂であるが、対抗上効果的な分野については、傾斜的な予算配分をすべきだ。沖縄に中共が武力侵攻できないでいるのは、日本の開発したディーゼル型潜水艦が防波堤となっているからだ。アメリカは中共と武力衝突をする気はなく、最終的には自衛隊が護り抜くしかないのである。日本の翼が復活すれば、それが抑止力として働くことになる。日本は監視用衛星においても、世界の最先端を行っている。武器は使われないことが望ましい。誰しもが求めるのは平和である。しかし、襲いかかろうとしている者に向かっては、身構えるのは当然である。中共の帝国主義的膨張政策は目に余る。アメリカが頼りにならないのでは、自主防衛力の整備しかないのであり、その目玉となるのが国産戦闘機の開発であることはいうまでもない。

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狂信的な信念から抜け出せない老いたサヨク闘士を嗤う!

2015年03月17日 | 思想家

中共や韓国での反日の動きはある種の偏見にもとづいている。それをつくりあげたのは教育にほかならない。悪く言われている日本がまともに反撃できなかったのは、同じ様な価値観が支配していたからである。戦後保守の中心であった竹山道雄は、勝手につくりあげられたイメージが、日本社会を混乱させたのを問題視した。しかも、竹山の場合は戦後だけではなく、軍部が暴走をした戦前も含んでいた。「戦前戦後に日本でイヤというほど経験したが、人間が外界についてなす判断は、そのリアリティに即してそれから引きだしたものではない」とみた。「このように考えよ」の理念から導き出されるのを批判したのである。あくまでも「この広大な世界では、事実はかくれている」からだ。竹山は『日本人と美』を書くにあたっても、そのことが頭から離れなかったのである。言葉にはイメージを喚起する作用があるために、あたかも真実であるかのように勘違いをする者が出てくる。「幻影が人間世界の中の重大な現実となってしまう」のである。「社会主義国家は平和国家」「日本は軍国主義に向かっている」とのプロパガンダが通用するのは、まず誤ったイメージがあるからだ。竹山は目前にないものを思い浮かべる能力としての表象力を、芸術の誕生という観点から探究したが、根本にあるのはリアリストとしての立場である。60を過ぎたサヨク闘士がいて騒いでいるのは、彼らが「幻影」に引きずられているからであり、狂信的な信念から抜け出せないからなのである。

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鈴木邦男氏木村三浩氏ら新右翼の限界と行動する保守の台頭!

2015年03月16日 | 思想家

今は亡き松本健一が一水会の鈴木邦男氏を揶揄する意味で「マスコミ右翼」と言っていた。その流れをくむ木村三浩氏が鳩山由紀夫元首相と一緒にクリミア入りし、ロシアへの編入を認めるような言動をしている。鈴木邦男氏の『続夕刻のコペルニクス』と木村三浩氏の『新パトリオティズムの展開憂国岱論』を読んでみても、彼らの意図がまったく分からない。鈴木氏は元赤軍派議長塩見孝也、革命浪人太田竜、ブンド戦旗派の荒岱介らとの交際を自慢しているだけである。塩見、太田、荒は一時は極左のスターであったわけで、それと新右翼を名乗る鈴木氏が衝突することは、それなりの意味があるだろうが、なれ合いでは話にならない。とくに、太田の辺境への退却と、荒のマルクスからジョン・スチュアート・ミルへの転向を評価するものとしては、思想的なレベルでの議論があってもよいと思う。木村氏は何にも新しいことを主張しているわけではない。ヤルタ・ポツダム体制を打破するためには、反米の旗を掲げるべきだと信じているのだろう。アジアの視点の導入に異論を挟むつもりはないが、中共や朝鮮半島での革命の動きと連携する視点が欠落しているのが残念である。新民族派に先頭に立ったこともある彼らは、行動する保守と真摯に向き合い、そこで合意形成をする努力をすべきだったのではないか。排外主義とかヘイトとか批判しないで、国の政治に影響を与えるようなエネルギーの爆発を、自分たちのところに呼び込めなかったのを反省すべきだろう。極端なヘイトは許されないとしても、マスコミを相手にせずどんどん突っ走っていく者たちは、確実に日本を変えつつある。鈴木氏、木村氏を支持する保守民族派もいるわけで、違いは違いとしても建設的な議論をすべきではないだろうか。お花畑のサヨクとなれ合っている時ではないのである。

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韓国を牽制するためにも日本とアメリカは結束すべきだ!

2015年03月15日 | 安全保障

ようやくアメリカも韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権の異常さに気付いたようだが、日本を警戒するあまりそれを野放しにしてきたことが、現在の結果を招いたのである。日本の安倍政権が歴史修正主義であり、アメリカが築いた戦後体制に相反する。それをアメリカと一緒に批判すれば、日本を追い詰められる。そう朴槿恵(パク・クネ)政権に勘違いさせたのは、誰あろうアメリカであったからだ。北朝鮮の指導者とは何のためらいもなく会うのに、日本して対しては難癖を付ける。これではいくら日本が努力をしても関係改善は不可能だ。政治においては敵と味方の区別しかない、と明確に言い切ったのはカール・シュミットである。そこには善とか悪とか、美と醜とかは問題にならず、抹殺する対象として敵を想定しているのである。韓国が日本を敵と考えているのだから、このままでは日本もやられっぱなしになる。いくら誠意をつくしても理解してくれないわけだから、国家として身構えるしかないのである。日韓が緊迫しているにもかかわらず、アメリカはあまりにも鈍感であった。中共の属国化に向けて舵を切りつつある韓国に、一度として苦言を呈しなかった。日本の保守派を歴史修正主義と批判するよりも、アメリカは戦後体制の再構築に乗り出すべきだ。それは友として日本を遇し、中共の勢力圏に入ろうとする韓国を牽制することなのである。こともあろうに韓国は日本とアメリカの同盟関係の強化にもいちゃもんをつけ、中共を利するような言動に終始している。東アジアの平和と安定のためには、日米の結束こそが重要なのである。安倍首相は集団的自衛権の行使容認などで一大決断をした。今度はアメリカがそれに応える番なのである。第三者的な立場は東アジアを混乱させるだけだ。

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アメリカ一辺倒ではなく日本は独自の安全保障戦略を!

2015年03月14日 | 安全保障

世界が平和であるために、日本もそれなりの国際貢献をすることは当然だ。読売新聞によれば政府は昨日、自民党と公明党に自衛隊の海外派遣に関する新法や改正法案の大枠を示した。新たに制定される恒久法でも、後方支援は輸送や弾薬の提供にとどめ、国連安全保障理事会の決議を自衛隊派遣の要件とし、それ以外の国際機関や地域機関の要請がある場合には可能とするかどうか検討するとしている。残念でならないのは、今回もまたアメリカの圧力が背景にあることだ。中共が沖縄を自分たちの勢力圏に組み入れようとしている。それへの対抗上、日本はアメリカとの同盟を強化するしかないのである。核なき日本はアメリカ依存から抜け出せず、逆に自衛隊の傭兵化が進みかねない。政府がお茶を濁しているのは、その危険性を十分承知しているからだろう。米国が尖閣諸島を防衛する気がないことは、かつてのモンデール駐日大使の発言でも明確である。さらに、危惧されるのは多国間で東アジアの安定を維持しようとするスタンスが米国にあることだ。六カ国協議で縛りをかけられれば、日本は骨抜きになる。菅沼光弘も『日本の国益』で書いているように「アメリカは日本を見放し、中国、韓国、北朝鮮は反日政策を続け、ロシアは日本を瓦解させようとする」なかで、日本は独自の安全保障戦略を持つべきなのである。これまで同様にアメリカを重視しながらも、あらゆる選択肢を排除すべきではないだろう。

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保守の心とは高齢者を尊敬し「伝承的知識」を重視することだ!

2015年03月13日 | 思想家

誰もが80歳以上も生きる時代になったのに、高齢者を病人扱いしてはいないか。認知症にかかったり、癌などで闘病中の人も多く、そう決めつけられても仕方がない面はある。しかし、寿命がつきるまで社会的な存在としての役割を担う。それが人間らしいことなのであり、その点を見落としてはならない。福祉を充実するだけでは解決できない、もっと根本的な問題があるのではないだろうか。櫻田淳が『「福祉」の呪縛』で指摘しているように、高齢者は伝統的な共同社会では、周囲の者たちから尊敬を集めた。和菓子、和装、畳などの伝統的な稼業では、今でも高齢者の存在を抜きには語れない。そうした割合が少なくなり、技術革新が日進月歩で進むようになると、ほとんどの高齢者は顧みられなくなっている。そこで櫻田は、イギリスの政治学者マイケル・オークショットの知識には「技術的知識」と「伝承的知識」の二種類あるのを紹介しながら「個々の人々が社会のなかで自分の『役割』を持ちつつ、お互いに結びつきを保つという『有機性』は、どのように再生されるべきであろうか」との問題提起をした。「有機性」の再生にあたって高齢者が重要な役割を果たすのはいうまでもない。地域の文化を子供たちに知ってもらい、受け継いでもらうためにも「伝承的知識」は不可欠なのである。保守を名乗りながら、実際には経済合理性だけで高齢者や障害者を切り捨てる人たちがいる。かつての日本人が親を大事にしたのは、儒教の影響が強かったばかりではない。「有機性」のある共同体を維持するには、親の言葉に耳を傾ける必要があったのだ。もう一度それを思い起こすべきなのである。!

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日本と敵対し中共に擦り寄って韓国民は益があるのか!

2015年03月12日 | 国際問題

大使というのは、その国を代表する人間であり、警備に厳重を期すのはあたりまえだ。今頃になって韓国が警護対象に加えるというのは、どこかずれていないだろうか。北朝鮮との間でも、あくまでも現在は休戦中であり、いつ本格的な武力衝突が起きても不思議ではないのである。これまでだって北朝鮮からゲリラが送り込まれてきた。それを考慮したならば、諸外国の大使の身の安全を保証しない方がどうかしている。ソウルの日本大使館の前におかしな銅像を建てるのも、誰がみても異常なことである。韓国という国は事大主義そのものであり、周辺国の動向を見ながら、コロコロと態度を変えていくのではないか。アメリカが朝鮮半島から撤収するのを見越して、中共に擦り寄るのも、もともと原則などはないからだろう。自由と民主主義を国是としていると言いながらも、やっていることは北朝鮮と同じような独裁である。国をまとめるためには手段を選ばないからだ。北朝鮮以上に日本を悪者にすることで、国論を統一しようとしている。ややこしいのは、在日と呼ばれた人に反日の動きがあることだ。日本の社会は彼らを締め出そうとはしてこなかった。先の大戦を共に戦った同志として遇したのである。さらに、敗れたことでの負い目を痛感したがために、特別の扱いをしてきた。韓国には繰り返し謝罪してきており、安倍内閣もそれを踏襲している。頑なまでに意地になっているのは韓国ではないか。日本は常に門戸を開いているのである。しかし、そこまで日本をこきおろして韓国民はそれでいいのだろうか。心から中共を信頼できるのだろうか。歩み寄るべきは韓国なのである。

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