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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

何もかも雪にまみれし会津かな

2015年12月26日 | 俳句

ようやく会津盆地も雪のただなかにあります。明日の朝には白一色になるのでしょう。会津人の我慢強さは雪国ゆえだといわれます。押しつぶされそうな風土のなかで、会津人はめげずに生きてきたし、それはこれからも変わらないのです。

 

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「慰安婦問題」をめぐって無理してまで韓国と妥協すべきではない!

2015年12月26日 | 国際問題

甘い幻想は捨てるべきである。韓国はかつての反共の砦の韓国ではないのである。国内は北朝鮮化してしまい、国民レベルでは反日や反米が大勢となっている。背後には中共が控えており、妥協点を我が国と見出したとしても、あくまでもその場しのぎでしかない。アメリカ自身がすでに韓国を身捨てているのに、いわゆる「慰安婦問題」で日韓を和解させようとしても、それは土台無理なのである▼安倍首相はいかなる韓国側からの攻撃にも屈せず、日本の立場を貫いてきた。先の戦争において日本軍が、罪もない韓国の女性たちを銃剣によって慰安婦にしたというでっちあげは、白日のもとにさらされたのである。対米関係を重視する意味からも、韓国に対してそれなりのアプローチをすることを否定するわけではない。あらかじめその限界を認識していないと、またいつもの通りの繰り返しになるのを危惧するのである。急に朴槿恵大統領が弱気になってきたのは、韓国経済が深刻になってきたからだろう。頼りにしている中共の今後が不透明なだけに、日本との関係を改善しなくては、国そのものが成り立たないのである▼ここはじっくり構えるべきである。拙速は慎まなくてはならない。さらに、反日を焚きつけているのが日本のサヨクやマスコミであることも忘れてはならない。自分たちの居場所がなくなった者たちは、マイノリティーとか環境問題に逃げ込んだ。そこで韓国や在日との共闘が叫ばれるようになったのである。安倍首相は保守派の期待の星である。日本が国家として身構えるべきであることを、誰よりも知っているはずだ。時間をかければかけるほど日本に有利になるのだから。

 

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冬の闇眠気を誘うタブレット

2015年12月25日 | 俳句

眠られない夜はついついタブレットを。そうすればいつしか瞼が重くなるというのは、本と同じような効能です。

 

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偏向報道に徹することで結果的にサヨクを陳腐化した古舘伊知郎!

2015年12月25日 | マスコミ評

古舘伊知郎が「報道ステーション」を3月で降板することになったが、その記者会見でもらした一言に仰天してしまった。古舘は確信犯ではなく、絶えずネットや苦情の電話を気にしていた。やり過ぎはわかっていても、それを自らのキャラとして演じなくてはならなかったのだから、悲劇を通り越して喜劇である。中身はからっぽであった。反権力ぶってサヨクを喜ばせただけなのである。古舘をボロクソに批判することで、多くの日本人が溜飲を下げていたことも知っていた▼言論活動をしていたのではなく、叩かれるために余計なことを口にしていたのだ。いちいち目くじらを立てる必要などなかったのである。逆にそれがサヨクの愚かさを、身を以て示してくれたのである。一方的に「戦争法案」の罵る側に立っているようなスタンスを取りながら、その浅はかさを暴露したのである。いくら古舘が真面目な顔して戦争の危険性を説いてみても、それが現実に立脚していないことは、少し勉強すれば誰でも分かることだ。一方に加担するような発言をすればするほど、国民の多くは古舘のいい加減さに気付いたのである▼朝日新聞は系列のテレビ朝日を通じて、自分たちのプロパガンダを流布させようとした。その役割を担ってくれるはずの古舘が、逆に安倍内閣を後押しして、今の日本のサヨクを陳腐化することに貢献したのだ。皮肉といえば皮肉である。久米宏もそうであったが、ジャーナリストとして記憶されることもなく、すぐに過去の人と化すのである。

 

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「天皇制下の共産政体」を危惧していた三島由紀夫!

2015年12月25日 | 思想家

三島由紀夫が危惧していたことが現実の問題となった。日本共産党が来年1月4日の通常国会の開会式に出席することになった。天皇が御臨席されることに反発してきた経過があり、路線上の一大転換である▼三島は『文化防衛論』において、その当時タイの共産系愛国戦線や、ラオスの共産勢力のパテト・ラオが国王に敬愛の念を示していたことから、日本でも「時運の赴くところ、象徴天皇性を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容供政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代議制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さえ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産勢力乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もっと狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決まっている」と書いていた。▼その予言通りのことが今起きているのである。党内手続きは一切なしに、代々木官僚の一声で、象徴天皇性を認めるというのである。天皇陛下を敬愛する振りをして、最終的には日本を乗っ取ろうとしているのだ。それへの対抗策としては、三島が述べていたように「天皇に栄誉大権の実質を回復」すべきであり、「菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与えられなければならない」のである。それでしか日本共産党の全体主義から言論の自由を守り抜くことはできないのである。

 

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言論の自由を認めないのは左であれ右であれ全体主義だ!

2015年12月24日 | 社会風刺

人権派弁護士の浦志強氏が少数民族政策を批判しただけで、中共政府に身柄を一年半にもわたって拘束された。裁判では執行猶予がついたことでようやく自由の身となったが、法治国家とは無縁な全体主義なのである。在日や日本のサヨクが目指しているのが今の中共ではないだろうか。でっちあげで犯罪者に仕立て上げようとするのである。言論の自由などどうでもいいのである。『そうだ難民しよう!はすみとしこの世界』の出版差し止めを求めたり、本屋に圧力をかけたりするのは行き過ぎである。自分たち以外を認めないというのは、中共とまったく変わらない▼ヘイト法なるものも、誰がヘイトであるかを認定するかであり、在日の人たちを風刺することもできないような社会が望ましいのだろうか。現行法でも充分に対応できるのに、どうしてそこまでする必要があるだろう。行動する保守の関係者のなかには、実際に法で裁かれた人もいる。日本は中共と比べればはるかに法治国家なのである▼ネットのブログやフェイスブック、ツイッターなどでも、悪しざまに罵るのは「ネトウヨ」とレッテル貼りをされた人たちではない。かえって「ブサヨ」と呼ばれる反安倍や反米のプロパガンダを振りかざす者たちである。「ぱよぱよちーん」などがネットで話題になったのも、あまりにもえげつなかったからだ。言論の自由を失うことは、全体主義を日本人が選択することなのである。それは左であれ、右であれ断じて許されるべきではない。言論には言論で対抗すべきなのである。

 

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日本のこころを大切にする党は宣長の「大和魂」に通じる党名だ!

2015年12月23日 | 思想家

次世代の党が日本のこころを大切にする党に党名を変更する。「日本のこころ」といえば、やはり本居宣長である。毎年これから新年にかけては小林秀雄の『本居宣長』を読むようにしている。世の中が紅白とかで騒がしければ騒がしいほど、かえって孤独に徹したいからである。小林はその本の最終章で「宣長は、あるがまゝの人の『情(ココロ)』の働きを、極めれば足りるとした」と書いており、だからこそ、源氏物語を高く評価したというのだ▼宣長は『紫文要領、巻上』で「儒仏は物の哀しらぬようなるが其道にして、畢竟は、それも物の哀しるよりおこれる事也。物語は、さやうの教戒の書にはあらざるがゆへに、たゞその眼前(メノマエ)の物の哀をしり、又その仏の慈悲、聖人の仁義の心をも、物の哀としるゆえに、とにかく一偏(ヒトムキ)にかたゆることなく、とにかくに物の哀をしる事をかける也」を論じている。儒仏を成立せしめる根本には「『情(ココロ)』の働きを」抜きには語れないのである。宣長にとっては「御国にて上古、たゞ死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく」と門人に語ったことに尽きる。それが小林の宣長論の結論なのである。人の世がはかないからこそ「物の哀をしる」のである▼日本のこころを大切にする党という党名は、政治的なことよりも、もっと深い意味がある。「心」とするのではなく「こころ」と表記することで、日本人に共通する「情(ココロ)」までも含まれるからだ。今の日本には賢しらな心が氾濫している。「日本のこころ」を見直す観点からも、次世代の党よりも日本のこころを大切にする党なのである。

 

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シールズよりも注目されるべきは行動する保守だ!

2015年12月22日 | 世相

ともすれば日本のマスコミは、日本共産党に指導されたシールズの動きばかりを大々的に報道している。どのように評価するかは別にして、その点では朝日新聞も産経新聞も一緒である。社会学的にみてそれ以上に注目されなくてはならないのが行動する保守である。彼らの運動は、自民党の院外団とは別であり、ラディカルな戦闘性がある。今後は一定程度の政治的な影響力を持つ運動体となるだろう。しばき隊を名乗る組織が生まれたのも、あくまでもそれへの対抗上なのである▼去る20日にも新宿でデモが行われたが、旭日旗を押し立てて練り歩く姿は強烈であった。在日や韓国に対する批判はこれまでの日本社会でタブー視されてきたことである。暴力団や街宣右翼にも在日の影響力は及んでいるにもかかわらず、それに挑戦状をたたきつけたのである。動画の撮影も巧みである。デモ隊を取り巻くカウンターのメンバーの顔を次々とさらしていけば、罵倒することしかできない在日や反日サヨクの愚かさを暴露することになるからだ▼ハンナ・アレントによれは、全体主義の特徴は見捨てられている者が集まることだという。その観点からすれば行動する保守はあまりにもまともである。日本人の常識に立脚しており、それこそ何でもありの反米右翼の方が、はるかに全体主義的である。世界的に見て保守的潮流はますます顕在化するとみられる。日本人の多数派はもともと保守的である。ネット時代の到来によってサヨクから「ネトウヨ」と呼ばれる層の出現となり、それが街頭にまで繰り出したのが行動する保守なのである。

 

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チビチビと地酒味わう明日冬至

2015年12月21日 | 俳句

明日が冬至です。ゆっくり時間をかけて地酒を呑みたくなる季節です。ネットを見ながら、コメントしながら、独り静かに手酌するのもいいものです。

 

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シーラカンスのサヨクである「シールズ」を持ち上げるマスコミを嗤う!

2015年12月21日 | 俳句

歴史から学ばない者は賢者ではない。吉本隆明が「『社会主義』国もまた国家利益のためには侵略戦争もするし、(略)理念の対立がきわまって内戦もすれば、カンボジアのように労働者、市民、知識人の反体制運動にたいしては、戦車と銃剣で弾圧する。また経済不況やインフレもあれば、民衆が食料の欠乏に悩むこともある。こういう『社会主義』諸国家の実体が白日のもとにさらされた。これを契機に『右傾化』現象がはじまった。またこれで『右傾化』がはじまらなかったら、よほどどうかしている」(『反核異論』)と書いたのは昭和58年のことであった▼それから日本人の物の見方も変わったのである。今さら憲法9条を押し戴くのは時代錯誤も甚だしい。マスコミやサヨクがよく使う「ネトウヨ」なる人たちは、現実を直視しているからであり、その点については新左翼の大御所であった吉本も認めざるを得ないのである。それでもマスコミは過去の亡霊を持ち出して、あたかもシールズが新しい時代を切り開くかのような幻想を振り撒いている▼シールズをことさら話題にして若者に発破をかけようとするのは、社会主義への幻想が捨てきれないからである。もっとも愚かなのは、そんなマスコミの口車に乗ってしまう民主党である。政権交代な二大政党制による政治の実現は一体どこにいったのだろう。シーラカンスの日本共産党の助けを求めて、それで来年の参議院選挙に挑もうとしている。そんな野合が許されていいのだろうか。二周も三周も後を走っているマスコミの言説に惑わされるようでは、それこそ「右傾化」した国民からそっぽを向かれるだけなのである。

 

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