「わたしなりの枕草子」#322 2012-02-20 07:58:33 | 読書 【本文】 二百六十七段 扇の骨は 扇の骨は、 朴(ほほ)。 色は、 赤き、紫、緑。 【読書ノート】 色は=塗色か紙の色か不詳。
「わたしなりの枕草子」#321 2012-02-19 08:13:42 | 読書 【本文】 二百六十六段 下(した)襲(かさね)は 下(した)襲(かさね)は 冬は躑躅(つつじ)。桜、掻練襲(かいねりがさね)、蘇芳襲(すはうがさね)。 夏は、二(ふた)藍(あゐ)、白(しら)襲(かさね)。 【読書ノート】 下(した)襲(かさね)=束帯(正装)の袍の下に着る上衣。
「わたしなりの枕草子」#320 2012-02-18 08:25:43 | 読書 【本文】 二百六十五段 二百六十五段 単衣(ひとへ)は 単衣(ひとへ)は 白き。 日(ひ)の装束(さうぞく)の、紅(くれなゐ)の単(ひとへ)の袙(あこめ)など、かりそめに着たるはよし。されどなほ、白きを。 黄ばみたる単衣など着たる人は、いみじう心づきなし。 練色(ねりいろ)の衣どもなど着たれど、なほ、単衣は白うてこそ。 【読書ノート】 男性の装束についての随想が続きます。 日(ひ)の装束(さうぞく)=晴れの儀式の正装。 練色(ねりいろ)=染色の名。淡黄色。前文の黄から連想。
「わたしなりの枕草子」#319 2012-02-17 07:54:13 | 読書 【本文】 二百六十四段 狩(かり)衣(ぎぬ)は、 狩(かり)衣(ぎぬ)は 香染の薄き。 白き袱(ふく)紗(さ)。 赤(あかい)色(ろ)。 松の葉色。青葉。 桜。柳。また青き。藤。 男は 何(なに)の色の衣(きぬ)をも着たれ。 【読書ノート】 「男は 何(なに)の色の衣(きぬ)をも着たれ」=唐突な文ですね。「次段の書き出し」とするなど諸説
「わたしなりの枕草子」#318 2012-02-16 09:24:08 | 読書 【本文】 二百六十三段 指貫(さしぬき)は 指貫(さしぬき)は、 紫の濃き。 萌(もえ)黄(ぎ)。 夏は二(ふた)藍(あゐ)。 いと暑きころ、夏虫の色したるも、涼しげなり。 【読書ノート】 二(ふた)藍(あゐ)=紅(くれない)と藍とで染めた色。やや赤みのある藍色。→広辞苑第六版。
「わたしなりの枕草子」#317 2012-02-15 07:43:14 | 読書 二百六十二段 【本文】 歌は 歌は 風俗(ふぞく)。中にも、杉立てる門。 神(か)楽(ぐら)歌(うた)もをかし。 今(いま)様(やう)歌は、長うて曲(くせ)づいたり。 【読書ノート】 風俗(ふぞく)=風俗(ふぞく)歌。古代の地方民謡。特に平安時代以降,貴族社会に取り入れて遊宴歌謡としたもの。東国のものが多い。くにぶり。ふうぞくうた。大辞林。 今(いま)様(やう)歌=平安中期から鎌倉初期にかけて流行した新様式の歌。七五(しちご)調四句のものが代表的で、和讃や雅楽の影響から起こる。白(しら)拍(びよ)子(うし)・遊女などが歌い、宮廷貴紳にも愛誦された。「梁塵秘抄」に集大成。広辞苑第六版。 「親鸞」・五木寛之著にも沢山出てきました。当時の世相を反映していたと思います。 広く庶民から貴族までが好んだというのが面白いですね。ちなみに「梁塵秘抄」は後白河法皇撰。
「わたしなりの枕草子」#316 2012-02-14 07:27:55 | 読書 【本文】 二百六十一段 尊き言(こと) 尊き言(こと)、 九条の錫杖(さくぢやう)。 念仏の回向(ゑかう)。 【読書ノート】 言(こと)=言葉。文句。 錫杖(さくぢやう)=僧侶・修験者の杖。 九条の錫杖(さくぢやう)=九条の錫杖(さくぢやう)という儀式に諷詠される錫杖(さくぢやう)経九節の頌文(しようもん)=偈(げ)を指す。一節の終わりごとに錫を振る。→萩谷朴校注。 念仏の回向(ゑかう)=称名念仏(称名は仏菩薩)のあとに唱える回向文。 少し仏教を調べました。不案内ですが。
「わたしなりの枕草子」#315 2012-02-13 07:46:52 | 読書 【本文】 関白殿、二月二十一日に⑬ 事はじまりて、一(いつ)切(さい)経(ぎやう)を蓮(はす)の花の赤き一(ひと)花(はな)づつに入れて、僧・俗、上達部・殿上人、地下・六位、何くれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、行(かう)はじまりて、廻(ま)ひなどす。日ぐらし見るに、目もたゆく、苦し。 御使に、五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡(あぐら)床(ゆか)立ててゐたるなど、げにぞめでたき。 夜さりつ方、式(しき)部(ぶの)丞則理(ぞうのりまさ)参りたり。「『やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に候へ』と、宣旨かうぶりて」 とて、帰りも参らず。宮は 「先づ、帰りてを」 とのたまはすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ、仰せ事にて、入らせ給ひなむとす。 院の御桟敷より、 「ちかの塩竃」 などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど、持て参りちがひたるなども、めでたし。 事果てて、院、帰らせ給ふ。院司・上達部など、此(こ)度(たみ)は、片へぞ仕り給ひける。 宮は内裏に参らせ給ひぬるも、知らず、女房の従者どもは、「二条の宮にぞおはしますらむ」とて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。 内裏(うち)には、「宿直(とのゐ)物持て来なむ」と待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、言ひ腹立てど、かひもなし。 つとめて来たるを、 「いかで、かく心もなきぞ」 などいへど、陳(の)ぶることもいはれたり。 またの日、雨の降りたるを、殿は、 「これになむ、おのが宿世(すくせ)は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」 と聞こえさせ給へる御心驕(こころおご)りもことわりなり。 されど、その折、「めでたし」と見たてまつりし御事どもも、今の世の御ことどもに見奉り比ぶるに、すべて、一つに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。 【読書ノート】 持てつづきたる=捧持して行列した。行(かう)=行道。法会の時、衆僧が列を組んで読経・散華しながら仏堂や仏像の周囲を右回りにめぐり歩くこと。→広辞苑第六版。廻(ま)ひ=大堂の周囲を廻る。たゆく、苦し=だるく、疲れた。 御使=勅使として。胡(あぐら)床(ゆか)=腰掛け。式(しき)部(ぶの)丞則理(ぞうのりまさ)=この段の始めの「式部の丞なにがし」。やがて=すぐに。給ふべし=「べし」は難しいですね。ように→桃尻語訳。 「先づ、帰りてを」=(二条の宮に)。 ただ=ともかく。 「ちかの塩竃」=古歌をひく。こんなに近いのに対面できない。御消息参り通ふ=女院からのお便りと中宮からのご返事が。中宮にとって、院は叔母であり、姑である。仲睦まじかった様子を回想している。 片へぞ=半分。 従者=召使い。 内裏(うち)には=宮中の(私たちには)。宿直(とのゐ)物=夜着。きよう見え聞こえず=さっぱり音沙汰もなく。身にもつかぬ=体に馴染んでいない。 いはれたり=「言はれたり」。私たち女房が従者に「言われた」。それも、もっともだ。 定子崩御以後の執筆時点での回想です。 最後の「またの日」からは名文です。また、難解です。 またの日=翌日。 これになむ=昨日雨が降らずに今日雨が降る。 宿世(すくせ)=運命。聞こえさせ給へる=(中宮様に)。心驕(こころおご)り=思いあがること。 今の世=道没後の世。供養は正暦五年(九九四年)二月、翌長徳元年(九九五年)四月に道は死去。 すべて、一つに申すべきのもあらねば=成書の口語訳が微妙に異なります。「とても、同じお方の身の上とは思えませんので」→萩谷朴校注。「全くの違いようでお話にもならないので」→新版「枕草子」・石田穣治訳注。「全然同じこととも思えないんでね」→桃尻語訳「枕草子」。「万事一律に申し上げられるはずがないので」→枕草子・小学館。 とどめつ=書きもらした。
「わたしなりの枕草子」#314 2012-02-12 07:31:11 | 読書 【本文】 関白殿、二月二十一日に⑫ 入らせ給ひて、見奉らせ給ふに、みな、御裳(も)・御唐(から)衣(ぎぬ)、御匣(みくしげ)殿(どの)までに、着給へり。殿の上は、裳の上に小袿(こうちぎ)をぞ着給へる。 「絵にかいたるやうなる御さまどもかな。今一(ひと)前(まへ)は、今日は、人々しかめるは」 と申し給ふ。 「三位の君、宮の御裳脱がせ給へ。この中の主君(すくん)には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろげのことかは」 とてうち泣かせ給ふ。「げに」と見えて、みな人涙ぐましきに、赤色に桜の五重の衣を御覧じて、 「法服の一つ足らざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそ返り申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物を取り占められたるか」 とのたまはするに、大納言殿、少ししぞきてゐ給へるが、聞き給ひて、 「清(せい)僧都のにやあらむ」 とのたまふ。一言(ひとこと)として、めでたからぬことぞなきや。 僧都の君、赤色の薄物の御(ころも)衣、紫の御袈(け)裟(さ)、いと薄き淡色(うすいろ)の御衣(おんぞ)ども、指貫(さしぬき)など着給ひて、頭(かしら)つきの青くうつくしげに、地蔵(ぢざう)菩薩(ぼさつ)のやうにて、女房にまじり歩き給ふも、いとをかし。 「僧(そう)綱(がう)の中に、威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」 など、笑ふ。 大納言の御桟敷より、松(まつ)君(ぎみ)率(ゐ)て奉る。葡萄(えび)染(ぞめ)の織物の直衣(なほし)、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着給へり。御供に、例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、女房の中にいだき入れ奉るに、何ごとのあやまりにか、泣きののしり給ふさへ、いとはえばえし。 【読書ノート】 入らせ給ひて=(殿が中宮の御桟敷に)。御裳(も)・御唐(から)衣(ぎぬ)=第一礼装。小袿(こうちぎ)=唐(から)衣(ぎぬ)の代わりに小袿(こうちぎ)を用いるのは略式の礼装。 一(ひと)前(まへ)=貴子(きし)を差す。お一方。人々しかめるは=(初老の貴子も)女らしく見える。 三位の君=貴子。他人行儀に呼んだ。おぼろげのこと=並一通りのことだろうか。 中宮は女院(詮子)に対する礼から裳(臣下としての礼装上つけるもの)を着けているが、この一族のみの場では主人であるのだから、「宮の御裳脱がせ給へ」の発言になった。また、貴子が小袿(こうちぎ)を用いるのは生母である気安さかかもしれないが主従の範に反する。 赤色に桜の五重の衣=作者の服装。 道は作者を出しに、シリアスな展開から、さっと冗談に転じる。このあたりは見事です。 にはかに=急のことで。これ=そなたが着ているのを。べかりけれ=……のはずであった。 「清(せい)僧都のにやあらむ」=清少納言の「清」をかけて「清僧都=清少納言」のですよと、助け船を出した。 僧都の君=円。伊周らの弟。→時に十五才。(八十八段初出)。女房=女性の部屋。 僧(そう)綱(がう)=僧官。 威儀=作法にかなった立居振舞い。具足=十分に備わっていること。 松(まつ)君(ぎみ)=伊周のの長子。当時三才。→九十九段初出。例の=いつものように。はえばえし=輝いて見える。
「わたしなりの枕草子」#313 2012-02-11 08:17:23 | 読書 【本文】 関白殿、二月二十一日に⑪ 三尺の御几帳(みきちやう)一双(ひとよろひ)をさし違へて、こなたの隔てにはして、その後ろに畳一枚(ひとひら)を長ざまに端(はし)をはしにして、長(な)押(げし)の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛(うひやうゑの)督(かみ)忠君(ただきみ)と聞こえけるが御女(むすめ)、宰相の君は、富の小路の右大臣(みぎのおとど)の御孫、それ二人ぞ、上にゐて、見給ふ。御覧じわたして、 「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」 と仰せらるるに、心得て、 「ここにて、三人はいとよく見侍りぬべし」と申し給へば、 「さば、入れ」 とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、 「殿上ゆるさるる内舎人(うどねり)なめり」 と笑へど、 「こは、童(わらは)選(せん)と思ひ給ひつるか」 と言へば、 「馬副(むまさへ)のほどこそ」 など言へど、そこに上(のぼ)りゐて見るは、いと面だたし。 かかることなどぞ、みづからいふは、吹き語りなどにもあり、また、君の御為にも軽々しう、「かばかりの人をさおぼしけむ」など、おのづからも物知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、畏(かしこ)き御事にかかりて、かたじけなけれど、あることはまた、いかがは。まことに、身のほどに過ぎたることどももありぬべし。 女院の御桟敷、所々の御桟敷ども見渡したる、めでたし。 殿の御前、このおはします御前より、院の御桟敷に参り給ひて、しばしありて、ここに参らせ給へり。大(だい)納(な)言(ごん)二(ふた)所(ところ)、三位の中将は陣に仕り給へるままに、調度(でうど)帯びて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人、四位・五位こちたくうち連れ、御供に候ひて、並みゐたり。 【読書ノート】 御几帳(みきちやう)一双(ひとよろひ)=二つを。さし違へて互い違いに置いて。こなたの隔てにはして=女房達の座との仕切りにして置いた。長ざまに=横長に。端(はし)をはしにして=畳の縁(へり)を下長押の縁に添えて。 人ども=女房達の。さば=鯖? 冗談です。それでは。召し上ぐる=(私を)。下にゐたる人々は=下段に座っている女房達。内舎人(うどねり)=律令制で、中(なか)務(つかさ)省に属する官。名家の子弟を選び、天皇の雑役や警衛に当たる。平安時代には低い家柄から出た。→広辞苑六版。 童(わらは)選(せん)=童(わら)殿(てん)上(じよう)。宮中の作法を見習うため、名家の子供が殿上に仕えたこと。 童殿上の内舎人(うどねり)と切り返した。 馬副(むまさへ)=公卿の乗馬に付き添う従者。 面だたし=晴れがましい。 吹き語り=自慢話。おのづからも物知り=自らも見聞が広く。世の中もどき=世間の批判をする。あいなうぞ=「あいなうおぼゆるぞ」の略。畏(かしこ)き御事=畏れ多いお方に。中宮と明記する訳もあります。いかがは=(記さざらむ)。 「かかることなど」から「ありぬべし」までは、執筆時点からの反省であって、「かばかりの人をさおぼしけむ」という謙遜の語調に、皇后崩御の後にも、遡って定子のご人格に批判の目が向けられることを怖れた作者の周到な心遣いが現れている。→萩谷朴校注。 所々の=高貴な方々の。 御前より=(通って)。 調度(でうど)=弓矢。御供に候ひて=(関白様の)。 並みゐたり=並んで座っている。