今日は予報のわりに穏やかな日で、時折陽も差したので親不知を走ってみた
気温は富山も新潟も3~4度だが車に乗っているとエアコンで暑い。
何年か前にも書いた気がするが、私が忘れているから読む人も覚えてはいないだろう、同じ内容になるとは限らないし。
ここは富山県と新潟県の境界に当たる、東の端は新潟県西端の青海町の青海川
西端は同じく青海町の富山県境の市振
この間、およそ15㎞ほどが親不知の険と呼ばれ、北アルプスが断崖になって日本海に落ちている場所だ。
明治初期まで道路はなく、通路として高さ数百mの断崖の下、荒波打ち寄せる砂利浜を命がけで行くか、船で海路か、歩いて山の上から行くしかなかったが、明治維新の後明治天皇が全国を巡行されたとき、崖の中腹を大工事の末、道路を切り開いたのだった。
親不知の地名も平安の昔、越後に赴任した役人の妻が子供を連れて越後国府に来る途中で、ここで遭難して、子供が波の飲みこまれた悲劇を歌った歌からつけられているそうだ、あるいは源平合戦の平頼盛の妻子の悲劇ともいわれる
「親不知 子はこの浦の波まくら越路の磯の泡と消えゆく」
集落も、この15㎞の間に一つあるだけで歌外波(うたとなみ)と呼ばれる
「歌」と「外波」の二地区が連なっている
それぞれに寺がある、そのうち外波の大雲寺には親鸞聖人が越後に配流されたときの「立ちすくみ如来」伝説がある、この寺の始まりにまつわる話である。
今は、親不知インターとすぐ近くに道の駅がある、この道の駅は北陸高速道の下に作った珍しい道の駅で、橋脚には焼き物の大きな絵が何枚も展示されている
また富山県の高岡で作った大きな亀の銅像がおかれている
昔、その抜型を高岡の工場で見学したことがある。
現在は北陸新幹線、越後ときめき鉄道(旧北陸線)、北陸高速道、国道8号線の四つの交通機関がある、それらすべてがほとんどトンネルかスノーセットで占められている
それでも大雪や強風、土砂災害で交通止めになることも一冬に一回はおこりうる、今でも難所なのである
実は一般的に馴染みはないが、もう一本だけ迂回路がある
それは富山県から境川に沿って南に上り、そこから橋を渡って新潟県に入る林道の山道だ、じきにこの道路の唯一の集落、上路(あげろ)に至る
まさに上の道というわけだ
この集落には「山姥伝説」があり、知る人ぞ知る村なのである
ここから洞窟で長野県の鬼無里村とつながっているという伝説もある
この山姥は白ロシア人で、13世紀にモンゴルでおこった蒙古人の大元国軍に追われて樺太から北海道、そして奥羽に逃げて、各地にばらばらと定住しながら上路にたどり着いた人々を、里人が見て山姥だと恐れたという伝説を講談調で講師から聞いたことがある
なかなか興味深い話だった。
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道の駅、親不知ぴあパーク
食堂、鮮魚店、青海川ヒスイ展示室などがある
夏にはかなりにぎわう。
アリス「冬の稲妻」