翌日の昼、再び高次は秀吉の前に引き立てられて来た
「ははは、高次、命が惜しいか」「はい」
「そうか、それならばこれにある証文に血判を押せ、ならば許して儂の家臣といたそう」
「そ、それは」「早う読むがよい」
証文には
「羽柴筑前守様
拙者儀 明智光秀の謀反、柴田勝家の騒動に加担した罪は重く、死罪となるべきところ上様の格別なる御取り計らいにより、罪のすべてを下記の条をすべて受け入れることで特別なる恩赦いただきますこと、心からお詫び申し上げますとともに感謝申し上げます。
一. 今後は筑前守様の家臣として心を入れ替え一から出直すこと
一. 姉、竜子は罪人武田元明の正室であり元明と同罪で打ち首となって当然ながら、拙者が上条を承諾することで罪一等を減じて命だけはお助けくださいますよう伏してお願い申し上げます。
一. 姉、竜子の身柄は人質として、筑前守様に差し出します故、存分にお使い下されて異存はございません、どうか命ばかりはお許しください。
以上、三か条を認め血判を捺印いたします、ひらにご容赦お願い申し上げます。
京極高次 判
「こ これは」高次が青ざめた、暗に人妻である姉を側室に差し出せと書いてある
「どうじゃ、異存があるのか! ならばすでに捕えてある武田元明と3人並べて磔(はりつけ)の火あぶりといたすか、これ火あぶりの刑の準備をせよ、罪人は3人じゃ、急げ」
「お お待ちください、なにも申しておりませぬ、今すぐ血判を押します、心をおしずめくだされ」
「なんじゃ、初めからそういえばよいものを、お前たち姉弟は粗末には扱わぬゆえ安心せよ、ただし武田元明は許さぬ、それでも元は若狭守護ゆえ打ち首はゆるして切腹させてやろう、
丹羽殿、そなたに武田元明の身柄を預ける故、居城に連れ帰って来月中には切腹させるように」
「はは。わかり申した、あやつめ儂の不在を狙い盗人のように佐和山城を奪った憎きやつでござる、つるし首にしても飽き足りませぬが殿がそう言われるなら、切腹で我慢しましょう」
丹羽は機を見るに敏な官僚タイプの男である、すでに秀吉が次代を担うとみて臣下の礼をとっている。
秀吉は論功行賞の前に、城から逃れた女たちと、市の三姉妹に会った
その時、供の女たちの中にひときは上品で美しい女を見た、それがかって若狭守護だった武田元明の正室、(京極)竜子であった
世が世であれば、秀吉など足蹴にされて田に落とされても何も言えぬほど身分が違う、京極家と言えば足利将軍家を支える4本柱の一つで足利絶えれば将軍になる資格を持つ家柄であり、最盛期には五か国の守護を兼ねた大大名であった。
高次のころには落ちぶれて武田元明や朝倉義景の世話になっていた、浅井の姫たちとは従兄妹で共に小谷城で暮らした
だが落城してからは武田、朝倉に保護されていたが、信長に併合されて武田も流浪の身となり朝倉も滅びると、本能寺のあと再婚した市を頼って姉弟は柴田勝家に匿われていたのだ。
竜子にとって夫ある身でありながら、下賤からの成り上がりの秀吉の妾になるのは屈辱でしかなかったが、弟を殺すと言われると従うしかなかった、こうして京極姉弟は秀吉に屈した。
しかし戦国の世の移り変わりの激しきことよ
秀吉が足軽として信長に仕えたのが17歳、今は46歳になったから30年近い年月が過ぎた、その間に消え去った織田家が関連した有力大名はどれだけあるだろうか
足利将軍家、甲斐武田家、若狭武田家、今川家、斎藤家、浅井家、朝倉家、六角家、三好本家、神戸家、清州織田家、岩倉織田家、別所家、尼子家、能登畠山家、山名氏、松永久秀、織田信勝、柴田勝家、佐久間信盛、明智光秀、荒木村重、備中清水家、小寺家、波多野家などなど
さて秀吉の戦はまだ半分終わったばかりだ、各城の仕置きを済ませるとまた大垣、佐和山、安土、長浜と目まぐるしく動きながら滝川一益と織田信孝を攻撃する日々が続く
だが彼らの抵抗も頼みの柴田が滅ぶと一気に力を失った、柴田が滅びて10日後、幾重にも囲まれた岐阜城で窮した信孝は降伏した
今年に入って二度も降伏した信孝を許すことはできなかった、すでに信孝が差し出した母親ら人質は処刑されている
だが秀吉から見れば、信孝と言えど信長の三男、主君の一人であるから処刑を言い渡すことはできない、いかに力があってもそれを言えば、さすがに織田家の旧臣や徳川ら諸国の者も、秀吉を謀反した明智同様に扱うであろう
そうなれば、これまでの苦労は水の泡になる
「ここは信雄様に処分させるのが賢明かと」官兵衛が秀吉にささやく
「その通りじゃ、儂の力ではまだ信孝を殺せぬ」
秀吉は信雄に会った
「お屋形様、三七様をいかがなされますか」
「うむ、高野山にでも流して坊主にしようか」
「それも良いですが、足利義昭や今川義元の例もありますぞ、お屋形様にとって永遠に敵対しないと思われますか、こういうと失礼ですが、お屋形様より世慣れして人を束ねる才もあるかと思われます、もし徳川殿と手を結べばいかがなりましょうや?」
「うむ、それもありえる、生かしてはまずいかのう」
「いや、それはお屋形様がお決めになること、家臣の拙者に何を決められましょうや、ただ言えるのは三七様の美濃はすべてお屋形様のものになりましょう」
「そうなのか、美濃も儂の物になるのか、さすれば一体いかほどの石高になるのじゃ」
「伊勢の御料地と伊賀と尾張を併せますとざっと150万石かと」
「150万石! 儂より多い領地を持つものはおるのか」
「この国では徳川殿、北条殿、毛利殿くらいがお屋形様と同じくらいでありましょう」
「徳川や北条と同じか、筑前はいかほどなのか」
「拙者は100万石でござります」
「そうか、儂の方が多いのか」
「いかにも、お屋形さまには誰も勝てませぬ」
「よしわかった!、気の毒だが信孝には腹を切らせよう、あやつは儂に何度も背いた、儂を織田家の当主だと認めておらぬのだ」
こうして信孝はついに無理矢理、詰め腹を切らされてしまった、こうしてまた一人織田家の正当な血縁者が消えた、これは秀吉や徳川家康などにとって望むとも望まずとも(良い)ことであった。
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