「長尾に景虎(かげとら)は越後守護代長尾為景(ためかげ)の次男だそうで、嫡男が病弱なため家督を譲られました
神仏信仰に厚く毘沙門天を祭った毘沙門堂を越後春日山城に造り、毎日籠って祈りをしているそうです
戦に際しては、自らを毘沙門天(びしゃもんてん)の化身と申して『毘』の旗を掲げて真っ先に敵陣に突っ込むこともあるそうです、未だ戦で負けたことはないとのこと
妻帯せず、女人を寄せつけずさりとて稚児小姓もいないとのこと
天子様、足利将軍を敬い毎年多額の献金をして、都にも二度上洛、一度は兵5000を引き連れ、
三好、松永らの無礼を懲らしめたので天子様、足利将軍、公家衆からたいそう信頼されているそうです
越後には甲州金山に匹敵する金山があり、直江の津は、出船入船盛んで特産の青苧(あおそ)でたいそうな富を築いているとか、越後長尾家は豊かなようです」
「景虎とはいくつなのじゃ?」
「今年で30とか、御屋形様より少し歳上です」
「長尾景虎か変わった男よな、いずれはまみえるであろう」
一息ついて質問を変えた
「今川は尾張(おわり)に攻め寄せる気配はあるか」
「太原雪斎さまが亡くなり、今は戦をする気配はないように思われます、しかし国内は3年以上干ばつ、大雨、飢饉が続いて疲弊しだしております
民の不満が義元様に向かないように、義元様は隠居して氏真(うじざね)様に家督を譲りましたが、氏真様は蹴鞠(けまり)と連歌に日々を送っているとのこと
隣の甲斐では今川様以上に深刻な飢餓が広がったので、信濃進行は民の不満を信濃に向けるため、そして信濃の実りを奪うためであります
また北条も武田同様に国内の飢饉が深刻です、こちらも今川様同様に北条氏康(うじやす)様が嫡子氏政(うじまさ)殿に家督を譲って民の目をそらそうとしています
ここも関東の富を奪いに戦を続けるでしょう、今川の援軍どころではありますまい
今川は同盟のため甲斐にも相模にも進行できません、されど他国の実りを奪うわなければ国内の飢餓は深刻になるばかりでしょう
とすれば・・・・・」
「尾張を狙うか、尾張は幸いにも天災が少ないからのう 苦し紛れに来るか、儂の思い通りに・・・」
「三河は先ほど話しましたが今川家の火薬庫です、いつ爆発するかわかりません、火をつけてみるのもおもしろいかも、へへ余計なことを申しました。
三河武士もさることながら、遠州の武士も駿河武士と性質が違います、武士は質実剛健、氏真様と義元公の都かぶれを苦々しく思っております
遠州は三河よりはましなれど、豊かな駿州への対抗心は半端ではありませぬ、
それに遠州はもともとは斯波様が守護だった国、御屋形様の掌中、斯波(しば)様とて取り返したいお気持ちがあるやもしれませぬ
遠州武士は甲斐の武田が思いのまま信濃を切り取っているのを見て心中穏やかではありますまい」
「ふふふ、サル殿よ見えてきたぞ、うぬは・・・ははは、十分役に立ったぞ」
「へへー 御屋形様、これに今川領のすべてを記してございますので、お渡しいたします」
藤吉郎は、事細かに記した今川の調書を信長に渡した
「ご苦労である、後ほど褒美をとらせるゆえ下がれ」
「へへー ありがとうございまする」
また5日が過ぎた、再び藤吉郎は信長に呼び出された、行ってみるとそこには男がいた、風体は武士だが醸し出す雰囲気は小六に似ている
信長が小姓を従えて上座に座った
「よいか、これから申すことは秘中の秘である、たとえ上司であっても言ってはならぬ、話せば首が飛ぶぞ、しかと心得よ」
「はっ」
「これから命ずることの趣旨は、今川義元を三河の田楽狭間(でんがくはざま)に誘い出す、ただそれだけである
そのために、おまえたちが行うことは駿府に潜入して噂を流すのじゃ、その話はこうこうこうだ」
そして二人をそれぞれ紹介した、「この男は梁田正綱(やなだまさつな)、この男は木下藤吉郎じゃ、梁田はどこぞで乱波(らっぱ=忍者)働きをしていたらしい、
木下はのぶせり(野武士)だったという、嘘か誠は知らぬ故、互いに探り合うがよい
今川領に入ったら、互いに連絡を取ってはならぬ、おのおのの働きをせよ」
こうして、藤吉郎と正綱は駿府に旅立った。
一か月も立たぬ開けて永禄三年正月頃には駿府城下に不穏な噂が立ち始め、それは家臣から今川義元の耳にも入った
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