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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 67

2024年04月10日 19時26分22秒 | 甲越軍記
 夜が明けて周りを見るに、敵も味方も一人として血糊なき人はいない
すでに夜を徹して寒風の中を戦い、誰もが疲れ果てていると晴信は見た
敵は闇夜の内は、互いの顔も見えぬ故、闇に紛れて逃亡する者もあったであろうが、明るくなって互いの顔が見えれば、もはや逃げることもならず再び必死の兵になる、そうなれば死を覚悟した敵の力十倍にも増すであろう
そう考えると、早く味方を引き上げるべきと傍にある原隼人佐昌勝に「急ぎ、兵を引き上げさせよ」と命じた。

原隼人佐は、晴信直々の軍配を預かり、その勢二百騎を引き連れて最前線に駆け寄り、敵味方切り合う中に割って入り、疾風の如く駆けて引き上げの下知を味方に伝えて走った
その手際の良さは、屈伸自在なること十本の指を動かすよりも速やかである
小田井方も押され気味の中、必死の誓いを立てたとはいえ武田勢の守り固く、これを幸いと大将、副大将以下引き上げを始めて、町に火を放ち城中に閉じこもった。

「カマキリがセミを狙えば、その後ろでは野鳥がカマキリを狙っている」の故事あり
小田井兄弟は既に武田勢を伺い、夜襲ったが陣中警護固くして逆に数多の兵を失ってしまった。
武田勢は続いて、小田井城に付け込まんと揉みたててみたものの、疲労の極限を思い、その後は互いに引き上げたのであった。

そこに山本勘助、二千余騎を引き連れて本陣より二里半の道のりを急ぎ駆け付けた
小諸の街道に兵を分けて陣を敷いていたが、晴信本陣より火勢の上がるのを見て「さては敵の夜討ち」と気づき、すぐに救いの兵を送るべしとまずは五十名を選び出して策を預けて先発させた。
その後を追って、勘助の本隊は晴信本陣に駆けつけた次第、そして晴信の前に平伏すると
「君、既に敵を追い払ったとのこと、道すがらに聞きました
是は君の御陣中厳重なるためで味方の勝利となりました、されども何故そのまま逃げる敵の尻を追ってつけ入るなされなかったのですか」と問う
晴信は「夜明け前まで戦い、敵は手ごわく味方は疲れ果て、討ち入りせんと攻め寄せれば敵は尚更必死の防戦にて、味方の死傷多くなりかえって敗れ去る恐れあり、それゆえいったん英気を養い再び攻め寄せれば、このような小城、落すのは造作も無いことと思い、敵の退き口を作り引き返した」

勘助は「攻城の謀はその勢いを失うべからず、敵もまた野戦で手痛くつかれているのは我らにも増しているはず、その疲れに乗じて早く攻め落とすに限ります
もし一両日の猶予を与えれば、諏訪頼茂、その身は来なくても援兵を送らぬとは言えません、某の新手を持って一あたりしましょう」と勇み立っている
晴信もこれを承知して舎弟の武田孫六信連、工藤源左衛門尉昌豊、原隼人佐昌勝を与力として添えた。
これで勘助が引き連れし兵は三千余騎となって城に攻めかけた

その時、敵はすでに城下を焼いて城に籠り、甲冑を脱いで休憩しようとしたところに早くも武田勢が攻め寄せたとの声を聞く
武田勢は鬨の声を上げ、鐘太鼓を鳴らして鉄砲を撃ちかけて来た
城兵は疲れ果てているところへ、武田勢は新手の三千余騎、しかしそれを知らぬ小田井兄弟は「敵も疲れているのは同じである、いかほどの事があろうか、我ら堅固に城門を護れば敵は間もなく去っていくであろう、みな怠らず敵を防ぐのだ、逃げ去る臆病者あれば斬り捨てる」と声高らかに言えば、城兵気を引き締めて、攻め寄せる武田兵に矢を射かけ、石、丸太を落して抵抗する。
小田井方の防御厳重で容易に落ちがたいと思った頃、城中の何か所からか同時に火の手が上がった
これこそ、勘助が先に送り込んだ五十騎のうち混乱に乗じてうまく敵に付け入った二十三人の仕業で、各所に火をかけて回ったため、城兵はたちまち混乱に陥った。




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