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母のお初盆

2006-08-16 09:51:24 | 父の懐
今年のお盆には新しく母を迎え、そして昨日送りました.私達には慣れ親しんだお盆に花火ですが、他所の地方の方にはお盆にお墓で花火をするというのは不思議なことだそうです.その花火をお墓につるした灯篭の日が燃え尽きるまで楽しみました(?).熱心にしたのは、蚊遣りの効果の為かもしれません.実家のお石塔は古いので、最近立てられたような立派なものではありません.弟が苔を落としたりお手入れをしていますので、古色に溢れてはいますが優しい佇まいです.私の祖父母から火葬になりましたので父母は一緒ですが、それ以前のお墓が何基も上下二段の墓所に並んでいます.法名でだけしか知らないご先祖様や、無縁仏と聞かされてきたものもあります.みんな出て来て最後の夜を楽しまれたでしょうか.日本人はお盆を先祖と共に過ごします.

お盆は仏教の行事だと思っておられる方が多いと思いますが、これは日本独特の先祖祭りの行事です.仏教形式の御霊(ミタマ)祭りです.仏教には西方浄土に行った先祖はおりますが、一年に一度戻ってくる先祖はおりません.そういう意味では日本にあるものは今も昔も神道という随神(カンナガラ)の道だけかもしれません.随神の道は日本人の心情の道です.日本人は日本人の心情を亡くすことは出来ません.現代は自由な世の中ですから、自分を見つめ続けなくても生きていけます.隠れキリシタンは信仰の道を守りたい固い心で秘匿すればするほど、日本人の心情の道に近くなってキリスト教とは違ったキリスト教を作り出しました.今の自由な私達は幸せですが、ある意味で不幸せです.自分の真実を一生発見しなくても通り過ぎることが出来ます.

そういう訳で、固く靖国に戻ると決心をして戦死なされた方々は今年も靖国神社に戻って来られ、そしてお帰りになりました.靖国神社は近代の宗教とは無縁です.靖国神社は固いお約束の目印なのです.私達日本人は靖国神社にお灯篭を灯し帰って来られるご先祖様をお迎えして共にお盆を過ごしそしてお帰りいただかねばなりません.総理大臣はお迎えにもお見送りにも、日本人を代表して行かねばなりません.これは教祖のいる宗教ではないのです.特定の何かを絶対神にした宗教でもないのです.ご先祖様の道と子孫の道が行き会うのが神道で、その場所がお宮です.これは風習です.風習は心情を基本にしているわけですから、とやかく言うほうがおかしいと思います.ましてや規制されたところでどうにもなりません.私達日本人は敗戦を記念して(?)靖国神社にお参りしているというより、ミタマ祭りのためのお盆の心情で家族はお参りしているのです.そしてたまたま重なった重大な終戦の日でもあるのです.多くの人々を失ってその方々の犠牲の上に、その方々を思って自分達も耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで日本を維持しようとした決意の日でもあるのです.

法で規制するというのであれば、一番の間違いは日本行政府が戦後占領からの独立時に、歴史的に当然の措置であるはずの戦犯とされた人々の名誉回復をしなかったことでしょう.したのでしょうか? その見識と勇気が無かったために戦後の日本は60年を経ても未だに精神的独立をはたしているとは思えません.そういう意味ではかえって戦後の政府が特A級戦犯だと思います.私達日本人の急務は、隣国のための靖国問題ではなく、戦争の始めから終りまで、そして戦後今日に至るまでの冷静な大人の検証だと思います.そして必要であれば裁判をやり直すべきです.その裁判は法律という人間の作った有限性に照らしてなすべきで、平和などという無限の秩序に照らすべきではありません.私達は表が正しければ、裏は間違っているそういう世界に生きていることを忘れないようにしたいと思います.裁判は絶対的な真理を争うものではないのです.

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