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親の思い、子の思い

2006-08-26 10:06:51 | Weblog
佐世保で昨年起こった同級生殺害事件のお父さんがニュースに出ておられました.この一年間がどんなものであったのか、特に語られなかったけれどまざまざと見せて頂いた気がします.私の両親は実際は6人の子をなしました.亡くしたのは次男と四男です.次男は6ヶ月、四男は3ヶ月でした.次男は私が4歳の時、四男は小学5、6年の時でした.次男の時はお葬式の日のことしか覚えていません.お宮参りのきれいな着物を掛けられた小さなお棺の中の弟の顔と、墓堀の風景と土葬でしたから土を掛けられて初めて気がついた私が泣き叫んで何処かへ連れて行かれたことだけです.周囲の父母の事も何も覚えていませんし、その後どうしたのかも覚えていません.

四男は腸閉塞を起こして、口から緑色のものを吐く危篤状態になりました.今では訴訟問題のような経過だったと後から懐古するような状況で手術をして3ヶ月の命を終えました.お見舞いに行ったこと、母がかすかな希望にすがっていたこと、学校から帰ってきたらお隣のおばさんがお掃除をしてくれていて弟の死を聞かされたこと、弟のお葬式と火葬にしたこと、お骨を納めに帰郷したこと、この時は色々覚えています.忘れられないのは私がおばさんから弟の死を聞かされたとき、状況を認めたくない心境に駆られておばさんににっこり(自分ではそのつもり、ゆがんでいたかもしれません)笑顔で応えたことです.そして私達に病院で泣いて来たと言ったきり涙を見せなかった母の瞼が、二月も三月も、どれくらいか覚えていませんが長いこと腫れていたことです.今思うに母は子供達が寝てしまってから、毎晩泣いて寝たに違いありません.泣きながら寝た次の朝の瞼は誰もが知っている通りです.子供ながらにそのことに触れてはいけないんだと思ったものです.

父母は子供を失ったものにしかその悲しみは分からないと良くいいました.10年は老けるよとも言いました.冒頭のお父さんの姿を見てその言葉を思い出しました.私は幸いに一人も欠けることなく成人して元気です.本当にありがたいことだと思います.今親が子を殺し、子が親を殺し、兄弟姉妹や友人を殺してしまう世の中になってしまいました.事件というものは起こってしまわなければ分からないものです.いろいろな事件が起こるたびに再発防止策というものが考えられますが、一つ一つの毎日の自分の行いそのものに孝不幸の岐路が潜んでいることを深く認識しない限り再発防止は不可能だと思います.当たり前の事が当たり前に過ぎていくことが一番の幸せです.幸に進んだ時は何も起こらないし自覚しないのです.そのことをいつもわきまえて日々の生活や親子の接し方を慎むべきだと思います.そして軽率に何でもしてしまったり、言ってしまったりしないようにすべきです.

でも頭では分かっていても分からないからこういうことになるのですよね.唯一つの解決策、それが食べ物です.食べ物が私達の考えと行動を左右します.今食育と言われていますが、漠然としてその訳が明らかになっていません.いまこそマクロビオティックの出番でしょう.外に平和を叫んでも、内側が壊れていますから平和は実現しません.全て何を食べるかという最も基本的な毎日の選択が人間の幸福を決めています.食という行動は自己表現です.生物の(広くは宇宙全ての)行動は食が全てです.食によって全てが発現していることをよく考えたいものです.食の秩序が回復されれば、お互いの肚の内が読めるようになります.親の思いと子の思いも通うようになります.これが平和な社会の基盤だと思います.
コメント (4)
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