我が家のシマネコちゃんはもう15歳くらいになりましょうか.はっきりと覚えていませんが、末息子が小学生の時に我が家に来ましたからそれくらいだろうと思います.私の6番目(?)の子供でした.それが今ではネコ時間を過ぎて、すっかりおじいさんです.とうの昔に母親の年齢を越してしまいました.人間の親子では決してありえないことをペット達は体験させてくれます.それでもシマネコちゃんの目には母親に映るのか関係は変わりません.時々私の座っている所に来ては隙間を探して無理矢理座る場所を確保します.そのシマネコちゃんが此処のところすっかりテリトリー意識(張り合う体力と気力)が失せて、行動範囲が狭くなり食欲も落ち気味になりました.もうすぐお別れの時期を迎えるのだと覚悟しなければなりません.
5番目の息子のエスが死んでもう8年になります.大きなシェパードでした.シマネコちゃんやその前のキジネコちゃんとは天敵(?)の間柄でした.家の中に入れてもらえる猫たちが許せなかったのかもしれません.成犬になる前の一時期、噛みたくて噛みたくて私の腕はあざだらけでした.そんなエスに“ガブリエス”というあだ名をつけました.本当はグノム・・・といういかめしい名前をもっていたのですが、スーパーマンのエスという名前にしました.はっけよいと掛け声をかけると、嬉しそうに突進してきた甘えん坊のエスもいつしか髭が白くなりました.最期は私の子守唄を聞きながらのことでした.雨のなか弟がテントを張ってエスのためにお墓を掘ってくれました.そういえば弟のトラックの荷台にエスと乗って雪風のなか平戸大橋を渡り獣医さんの所に行ったこともありました.
昔「いつおかあちゃまより年が多くなる?」と子供に聞かれたことがあります.その子の思いがかわいくて笑ってしまいました.でも犬やネコとは確かに年が逆転してしまいます.人間の時間、犬の時間、ネコの時間を実感します.一緒にいるのに同じ時間を生きていないことを教えてくれます.時間というものを私達が錯覚していることを教えてくれます.時間というものを物差しで測った単位のようについつい捉えてしまいがちですが、時間というものそのものが、その中身が私達の命でありこの宇宙を満たしている実質、久司先生の言われる無限の力なのだろうと思います.ですからそれぞれの時間はそれぞれの波長を持っているのだと思います.それでゾウの時間、ねずみの時間、人間の時間、犬の時間、ネコの時間がそれぞれ違っているのだろうと思います.
5番目の息子のエスが死んでもう8年になります.大きなシェパードでした.シマネコちゃんやその前のキジネコちゃんとは天敵(?)の間柄でした.家の中に入れてもらえる猫たちが許せなかったのかもしれません.成犬になる前の一時期、噛みたくて噛みたくて私の腕はあざだらけでした.そんなエスに“ガブリエス”というあだ名をつけました.本当はグノム・・・といういかめしい名前をもっていたのですが、スーパーマンのエスという名前にしました.はっけよいと掛け声をかけると、嬉しそうに突進してきた甘えん坊のエスもいつしか髭が白くなりました.最期は私の子守唄を聞きながらのことでした.雨のなか弟がテントを張ってエスのためにお墓を掘ってくれました.そういえば弟のトラックの荷台にエスと乗って雪風のなか平戸大橋を渡り獣医さんの所に行ったこともありました.
昔「いつおかあちゃまより年が多くなる?」と子供に聞かれたことがあります.その子の思いがかわいくて笑ってしまいました.でも犬やネコとは確かに年が逆転してしまいます.人間の時間、犬の時間、ネコの時間を実感します.一緒にいるのに同じ時間を生きていないことを教えてくれます.時間というものを私達が錯覚していることを教えてくれます.時間というものを物差しで測った単位のようについつい捉えてしまいがちですが、時間というものそのものが、その中身が私達の命でありこの宇宙を満たしている実質、久司先生の言われる無限の力なのだろうと思います.ですからそれぞれの時間はそれぞれの波長を持っているのだと思います.それでゾウの時間、ねずみの時間、人間の時間、犬の時間、ネコの時間がそれぞれ違っているのだろうと思います.