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値打ちと価(あたい)

2007-06-25 16:32:05 | 出版記事
桜沢先生がお書きになった「食養学序論」に生命の値打ちと生命の価という項があります.それをふと思い出しました.きっかけは何かと言うと、今を騒がせているコロッケの・・・フード社の社長の言.『安売り買いをする消費者も半額売りをするスーパーもおかしい云々』成る程一考の余地あり.どんな人の言葉にも半面の真理ありです!!盗人にも三分の理ありです!!次元を違えば、成る程真実です.同次元の裁きはおのずから付くでしょう.でも色んな次元に跨って生きている私達の生命、食物の生命を考えれば、桜沢先生の古色蒼然(?)とした旧仮名遣いのご本が光り輝いてきました.食物販売に対する信頼を裏切った会社の善悪より、私達はもっと食と生命というものの本質を考えなければならないと思います.

「生命の値打ちと生命の価」という項で、桜沢先生は誰も生命の代価をいくらと言うことは出来ないと述べておられます.命というものは誰にとってもたった一つのもので何にも代え難いものだと言っておられます.では私達はその生命を何によって養うのでしょうか.まあ言わずとしれたこと、食によるというわけですが、マクロビオティックや現代の栄養学に到るまで、健康は古来より全ての人々の関心事でありました.しかし分かってはいるものの、今では食費は最大の節約の現場です.そして病気をしても悠々と暮らせる(?)余裕のある人々は世界中の美食を求めるグルメと化し、健康で働かなくてはならないはずの人々は加工食品の劣悪化の只中にいて病人の予備軍と化しています.

食べ物と言うものは、他者の生命とイクオールであって、自分の生命と化すものです.だから本当はそれに代価というものはないのです.その代価を支払うとしたら、自分の生命で贖わねばなりません.私達はそれを得るに対する手数料を食品の代価と間違えているのだと思います.私達は食卓に就いて、本当に目前の食事に価するかどうかと反省し感謝を込めて食べているでしょうか.『頂きます』はそのためにあるのです.太古の単細胞生物が、他の細胞と出会った時食するか食されるかの選択をしたような真剣さで、『頂いて』いるでしょうか.食べ物に代価はありません.食べ物は自分の明日なのですから.

代価というともう一つ思い出すのが、久司先生のお話.人間の食についてですが、私達人間の食物の比は陽性対陰性で1:7の比率になっているというのがあります.つまりミネラル:蛋白質が1:7、その全量:炭水化物が1:7、そのまた全量:水が1:7、次々に対酸素が、対地球に近い波動が、次の波動が、・・・・と全部1:7の比率というわけです.人間の身体的特徴と同じです.この比率は比率が大きいものほど一刻も無しには生きていられないものを表しています.無限宇宙の波動無しには私達は存在しませんでした.酸素無しには頑張って数分しか生きられません.水無しには数日、炭水化物無しには数ヶ月、ミネラル無しには(不健全になって頑張ったとしても)数年?

そしてこれを眺めていると面白いことがわかります.私達は一番大切な波動や酸素に殆んど代価を支払いません.お天道様のありがたさは完全にただです.水も日本では最近までただ同然でした.近頃は自分で汚した水を浄水しなければなりません.炭水化物には一月いかほどでしょうか.これが食費の代表です.そしてミネラルには昔は命と引き換えのような塩の代価、今では法外な代価のサプリメントとお薬・・・・おかしなものですね.
コメント (2)
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