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萩の花と葛の花

2007-09-21 11:49:14 | Weblog
山道を通れば萩の花と葛の花がいたるところに咲いています.我が家の裏庭にも萩が紅白咲きました.四季折々大好きな花に囲まれて過ごすのは、都会では大変難しいことですよね.田舎暮らしならではと思います.

芙蓉の花もまだまだ真っ盛りです.真中に紅を差したむくげも咲いています.夏の花と秋の花が、今年の異様な暑さの中で、一方はふんばる強さを、もう一方はなんとなく涼しさを感じさせています.

先月ご紹介した娘2号夫婦のバランシング教室もお蔭様で何とか動き出しました.先にオーガニックベースを立ち上げた娘1号夫婦は相変わらず地道に自分達の道を模索しています.30歳を過ぎてこれからだと思います.マクロビオティックという人間のベースを多くの方と分かち合えるよう、娘達も皆様とご一緒に前進できることをありがたいと思います.

食べるということは人間が生きていく上で必要最小限の人為的選択で、それをしなかったらもう私達は存在できません.生命は皆植物も動物も同じことです.その食べるという行為の上に、私たちが日々取り入れているエネルギーには実にさまざまな種類があることに気づきます.食べたものによって作り出すエネルギーが異なり、からだの質が異なってきます.すると私たちが発するエネルギーも異なってきますし、自然界や向かい合う人間、動物から受け取るエネルギーも異なってくるのです.

当然見えるものも思いつくものも異なってきます.好みも希望も異なってきます.いつしか動作も言葉も変わっています.この世に目的は無いといつか敢えて書きましたが、食べることには目的があります.明日の選択のためです.明日を決めるのが今日の食べ物です.それで毎日一汁一菜?二菜?自分で献立を決めていますよね.自分が手に入れるもので元気に暮らしていかねばなりません.今日の命を明日につなぎます.

生活様式を文化というのであれば、動物たちは皆文化をもっています.ですが人間は他の動物と違って多様な基準を持っていると思います.その中で特筆すべきは美しさの追及だと思います.私達日本人は、精神世界の美しさの形容詞も持っています.美しさは清浄であることと同じ意味でした.カンナガラノ道は「清き明き」美の世界です.それでこれからが日本人の真骨頂なのですが、その清き明き心は実生活にも生身の人間にも適用する生活原則になりました.日本人には見える世界も見えない世界も同じ次元の物でした.日本人はいつも「カミ」となった見えない世界の住人とも一緒に暮らしてきたのです.私達日本人には、「腹黒い汚い」が悪い人間の形容詞です.それで最後には切腹して自分の肚の内が如何に清浄であるかを証明しなければなりませんでした.

人間の精神世界の展開も最初は食べることが唯一の方法でした.食べることで自分のエネルギーを人間らしく(?)作り変え、宇宙の実体に向かう文化を人間として共有できるまでになりました.つまりマクロビオティックという人間が人間になる生活法によって、思いという食べ物を自分で作り出すことが出来るようになったのです.自分の内側で反芻できる食べ物を人間も持っています.それは口で食べたものと同じように自分を変えていきます.思うことによって体も心も変わります.発した言葉によって、書いた文章によって、発信した人間は勿論、受け取る側も体の中で思いを共有し反芻できるのです.思いを美しく、つまり清く明くすることが、マクロビオティックの目的です.天然自然と同じ心になっていきたいものです.天然自然の心は無限の心です.無限の心を知ることは自分を知ることと同じです.私達は無限の一部として今生きています.いえ、無限には一部も全部もありません.私達はみな無限なのです.

食事法というマクロビオティックは娘1号夫婦が言うようにベースです.そして娘2号夫婦が発信するバランシングも運動という形でエネルギーを動かし天地との交換を可能にする方法です.それで、マクロビオティックで一体何をするかといえば、私達は「清き明き」天然自然の姿を生きるのです.その調整のために勉強し精進して、さらに天然自然の思いと姿を知りたいと思います.そうすればこの世にカミの国を実現できると思います.

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